いと云うのも同じことである。これは三歳の童児と雖《いえど》もとうに知っていることと云わなければならぬ。のみならず男女の差別よりも寧《むし》ろ男女の無差別を示しているものと云わなければならぬ。
服装
少くとも女人の服装は女人自身の一部である。啓吉の誘惑に陥らなかったのは勿論《もちろん》道念にも依《よ》ったのであろう。が、彼を誘惑した女人は啓吉の妻の借着をしている。もし借着をしていなかったとすれば、啓吉もさほど楽々とは誘惑の外に出られなかったかも知れない。
註 菊池寛氏の「啓吉の誘惑」を見よ。
処女崇拝
我我は処女を妻とする為にどの位妻の選択に滑稽《こっけい》なる失敗を重ねて来たか、もうそろそろ処女崇拝には背中を向けても好い時分である。
又
処女崇拝は処女たる事実を知った後に始まるものである。即ち卒直なる感情よりも零細なる知識を重んずるものである。この故に処女崇拝者は恋愛上の衒学者《げんがくしゃ》と云わなければならぬ。あらゆる処女崇拝者の何か厳然と構えているのも或は偶然ではないかも知れない。
又
勿論処女らしさ崇拝は処女崇拝以外のものである
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