ノならないことはない。更に甚しい場合を挙げれば、以前或名士に愛されたと云う事実|乃至《ないし》風評さえ、長所の一つに数えられるのである。しかもあのクレオパトラは豪奢《ごうしゃ》と神秘とに充《み》ち満《み》ちたエジプトの最後の女王ではないか? 香の煙の立ち昇る中に、冠の珠玉でも光らせながら、蓮《はす》の花か何か弄《もてあそ》んでいれば、多少の鼻の曲りなどは何人の眼にも触れなかったであろう。況やアントニイの眼をやである。
 こう云う我我の自己欺瞞はひとり恋愛に限ったことではない。我々は多少の相違さえ除けば、大抵我我の欲するままに、いろいろ実相を塗り変えている。たとえば歯科医の看板にしても、それが我我の眼にはいるのは看板の存在そのものよりも、看板のあることを欲する心、――牽《ひ》いては我々の歯痛ではないか? 勿論《もちろん》我我の歯痛などは世界の歴史には没交渉であろう。しかしこう云う自己欺瞞は民心を知りたがる政治家にも、敵状を知りたがる軍人にも、或は又財況を知りたがる実業家にも同じようにきっと起るのである。わたしはこれを修正すべき理智の存在を否みはしない。同時に又百般の人事を統《す》べる「偶�
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