しなければならぬ。自然は唯《ただ》冷然と我我の苦痛を眺めている。我我は互に憐まなければならぬ。況《いわん》や殺戮《さつりく》を喜ぶなどは、――尤《もっと》も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりも手軽である。
我我は互に憐まなければならぬ。ショオペンハウエルの厭世観《えんせいかん》の我我に与えた教訓もこう云うことではなかったであろうか?
夜はもう十二時を過ぎたらしい。星も相不変《あいかわらず》頭の上に涼しい光を放っている。さあ、君はウイスキイを傾け給え。僕は長椅子に寐ころんだままチョコレエトの棒でも噛《かじ》ることにしよう。
地上楽園
地上楽園の光景は屡《しばしば》詩歌にもうたわれている。が、わたしはまだ残念ながら、そう云う詩人の地上楽園に住みたいと思った覚えはない。基督教徒《キリストきょうと》の地上楽園は畢竟《ひっきょう》退屈なるパノラマである。黄老の学者の地上楽園もつまりは索漠とした支那料理屋に過ぎない。況んや近代のユウトピアなどは――ウイルヤム・ジェエムスの戦慄《せんりつ》したことは何びとの記憶にも残っているであろう。
わたしの夢みている地上楽園はそう云う天然の温室
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