己を告白することは何人にも出来ることではない。同時に又自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない。
ルッソオは告白を好んだ人である。しかし赤裸々の彼自身は懺悔録《ざんげろく》の中にも発見出来ない。メリメは告白を嫌った人である。しかし「コロンバ」は隠約《いんやく》の間に彼自身を語ってはいないであろうか? 所詮告白文学とその他の文学との境界線は見かけほどはっきりはしていないのである。
人生
――石黒定一君に――
もし游泳《ゆうえい》を学ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思うであろう。もし又ランニングを学ばないものに駈《か》けろと命ずるものがあれば、やはり理不尽だと思わざるを得まい。しかし我我は生まれた時から、こう云う莫迦《ばか》げた命令を負わされているのも同じことである。
我我は母の胎内にいた時、人生に処する道を学んだであろうか? しかも胎内を離れるが早いか、兎に角大きい競技場に似た人生の中に踏み入るのである。勿論《もちろん》游泳を学ばないものは満足に泳げる理窟はない。同様にランニングを学ばないものは大抵人後に落ちそうである。すると我我も創
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