互に利害と軽蔑とを最も完全に具《そな》えなければならぬ。これは勿論《もちろん》何びとにも甚だ困難なる条件である。さもなければ我我はとうの昔に礼譲に富んだ紳士になり、世界も亦とうの昔に黄金時代の平和を現出したであろう。
瑣事
人生を幸福にする為には、日常の瑣事《さじ》を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦《そよ》ぎ、群雀《むらすずめ》の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
人生を幸福にする為には、日常の瑣事《さじ》に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦《そよ》ぎ、群雀《むらすずめ》の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
神
あらゆる神の属性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出来ないことである。
又
我我は神を罵殺する無数の理由を発見している。が、不幸にも日本人は罵殺するのに価いするほど、全能の神を信じていない。
民衆
民衆は穏健なる保守主義者である。制度、思想、芸術、宗教、――何ものも民衆に愛される為には、前時代の古色を帯びなければならぬ。所謂《いわゆる》民衆芸術家の民衆の為に愛されないのは必ずしも彼等の罪ばかりではない。
又
民衆の愚を発見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我我自身も亦民衆であることを発見するのは兎《と》も角《かく》も誇るに足ることである。
又
古人は民衆を愚にすることを治国の大道に数えていた。丁度まだこの上にも愚にすることの出来るように。――或は又どうかすれば賢にでもすることの出来るように。
チエホフの言葉
チエホフはその手記の中に男女の差別を論じている。――「女は年をとると共に、益々女の事に従うものであり、男は年をとると共に、益々女の事から離れるものである。」
しかしこのチエホフの言葉は男女とも年をとると共に、おのずから異性との交渉に立ち入らな
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