暮の日本橋を通りすぎたり、人っこ一人いない国技館の中で、毎晩のように大勢の喝采《かっさい》が聞えたり、――所謂《いわゆる》「自然の夜の側面」は、ちょうど美しい蛾《が》の飛び交うように、この繁華な東京の町々にも、絶え間なく姿を現しているのです。従ってこれから私が申上げようと思う話も、実はあなたが御想像になるほど、現実の世界と懸け離れた、徹頭徹尾あり得べからざる事件と云う次第ではありません。いや、東京の夜の秘密を一通り御承知になった現在なら、無下《むげ》にはあなたも私の話を、莫迦《ばか》になさる筈はありますまい。もしまたしまいまで御聞きになった上でも、やはり鶴屋南北《つるやなんぼく》以来の焼酎火《しょうちゅうび》の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》がするようだったら、それは事件そのものに嘘があるせいと云うよりは、むしろ私の申し上げ方が、ポオやホフマンの塁《るい》を摩《ま》すほど、手に入っていない罪だろうと思います。何故と云えば一二年以前、この事件の当事者が、ある夏の夜私と差向いで、こうこう云う不思議に出遇った事があると、詳しい話をしてくれた時には、私は今でも忘れられな
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