仔細を尋ねましたが、お敏はただ苦しそうな微笑を洩らして、「こうしている所が見つかって御覧なさいまし。私ばかりかあなたまで、どんな恐しい目に御遇いになるか知れたものではございませんよ。」と、それだけの返事しかしてくれません。その内にもう二人は、約束の石河岸の前へ来かかりましたが、お敏は薄暗がりにつくばっている御影《みかげ》の狛犬《こまいぬ》へ眼をやると、ほっと安心したような吐息をついて、その下をだらだらと川の方へ下りて行くと、根府川石《ねぶかわいし》が何本も、船から挙げたまま寝かしてある――そこまで来て、やっと立止ったそうです。恐る恐るその後から、石河岸の中へはいった新蔵は、例の狛犬の陰になって、往来の人目にかからないのを幸《さいわい》、夕じめりのした根府川石の上へ、無造作《むぞうさ》に腰を下しながら、「私の命にかかわるの、恐しい目に遇うのって、一体どうしたと云う訣《わけ》なんだい。」と、またさっきの返事を促しました。するとお敏はしばらくの間、蒼黒く石垣を浸している竪川《たてかわ》の水を見渡して、静に何か口の内で祈念しているようでしたが、やがてその眼を新蔵に返すと、始めて、嬉しそうに微笑
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