」と、白々しくずっきり云った。――それがどのくらいつらかったのでしょう、お敏はやはり手をついたまま、消え入りたそうに肩を落して、「はい。」と云ったぎりしばらくは涙を呑んだようでしたが、もう一度新蔵が虹のような酒気を吐いて、「御取次。」と云おうとすると、襖《ふすま》を隔てた次の間から、まるで蟇《がま》が呟《つぶや》くように、「どなたやらん、そこな人。遠慮のうこちへ通らっしゃれ。」と、力のない、鼻へ抜けた、お島婆さんの声が聞えました。そこな人も凄じい。お敏を隠した発頭人。まずこいつをとっちめて、――と云う権幕でしたから、新蔵はずいと上りざまに、夏外套を脱ぎ捨てると、思わず止めようとしたお敏の手へ、麦藁帽子を残したなり、昂然と次の間へ通りました。が、可哀そうなのは後に残ったお敏で、これは境の襖の襖側にぴったりと身を寄せたまま、夏外套や麦藁帽子の始末をしようと云う方角もなく、涙ぐんだ涼しい眼に、じっと天井を仰ぎながら、華奢《きゃしゃ》な両手を胸へ組んで、頻《しきり》に何か祈念でも凝らしているように見えたそうです。
さて次の間へ通った新蔵は、遠慮なく座蒲団を膝へ敷いて、横柄《おうへい》にあたり
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