《さかずき》やギタアや薔薇《ばら》の花など。そこへ又紅毛人の男が一人突然この部屋の戸を押しあけ、剣を抜いてはいって来る。もう一人の紅毛人の男も咄嗟《とっさ》にテエブルを離れるが早いか、剣を抜いて相手を迎えようとする。しかしもうその時には相手の剣を心臓に受け、仰向《あおむ》けに床の上へ倒れてしまう。紅毛人の女は部屋の隅に飛びのき、両手に頬《ほお》を抑えたまま、じっとこの悲劇を眺めている。
37[#「37」は縦中横]
望遠鏡に映った第二の光景。大きい書棚などの並んだ部屋の中に紅毛人の男が一人ぼんやりと机に向っている。電灯の光の落ちた机の上には書類や帳簿や雑誌など。そこへ紅毛人の子供が一人勢よく戸をあけてはいって来る。紅毛人はこの子供を抱き、何度も顔へ接吻《せっぷん》した後、「あちらへ行《ゆ》け」と云う手真似をする。子供は素直に出て行ってしまう。それから又紅毛人は机に向い、抽斗《ひきだし》から何か取り出したと思うと、急に頭のまわりに煙を生じる。
38[#「38」は縦中横]
望遠鏡に映った第三の光景。或|露西亜人《ロシアじん》の半身像を据えた部屋の中に紅毛人の女が一人せっせとタイプライタアを叩《たた》いている。そこへ紅毛人の婆さんが一人静かに戸をあけて女に近より、一封の手紙を出しながら、「読んで見ろ」と云う手真似《てまね》をする。女は電灯の光の中にこの手紙へ目を通すが早いか、烈《はげ》しいヒステリイを起してしまう。婆さんは呆気《あっけ》にとられたまま、あとずさりに戸口へ退いて行《ゆ》く。
39[#「39」は縦中横]
望遠鏡に映った第四の光景。表現派の画に似た部屋の中に紅毛人の男女《なんにょ》が二人テエブルを中に話している。不思議な光の落ちたテエブルの上には試験管や漏斗《じょうご》や吹皮《ふいご》など。そこへ彼等よりも背の高い、紅毛人の男の人形が一つ無気味にもそっと戸を押しあけ、人工の花束を持ってはいって来る。が、花束を渡さないうちに機械に故障を生じたと見え、突然男に飛びかかり、無造作に床の上に押し倒してしまう。紅毛人の女は部屋の隅に飛びのき、両手に頬《ほお》を抑えたまま、急にとめどなしに笑いはじめる。
40[#「40」は縦中横]
望遠鏡に映った第五の光景。今度も亦前の部屋と変りはない。唯《ただ》前と変っているのは誰《たれ》もそこにいないことである。そのうちに突然部屋全体は凄《すさ》まじい煙の中に爆発してしまう。あとは唯一面の焼野原ばかり。が、それも暫《しばら》くすると、一本の柳が川のほとりに生えた、草の長い野原に変りはじめる。その又野原から舞い上る、何羽とも知れない白鷺《しらさぎ》の一群。………
41[#「41」は縦中横]
前の岬の上。「さん・せばすちあん」は望遠鏡を持ち、何か船長と話している。船長はちょっと頭を振り、空の星を一つとって見せる。「さん・せばすちあん」は身をすさらせ、慌《あわ》てて十字を切ろうとする。が、今度は切れないらしい。船長は星を手の平にのせ、彼に「見ろ」と云う手真似をする。
42[#「42」は縦中横]
星をのせた船長の手の平。星は徐《おもむ》ろに石ころに変り、石ころは又|馬鈴薯《じゃがいも》に変り、馬鈴薯は三度目に蝶に変り、蝶は最後に極く小さい軍服姿のナポレオンに変ってしまう。ナポレオンは手の平のまん中に立ち、ちょっとあたりを眺めた後、くるりとこちらへ背中を向けると、手の平の外へ小便をする。
43[#「43」は縦中横]
前の山みち。「さん・せばすちあん」は船長のあとからすごすごそこへ帰って来る。船長はちょっと立ちどまり、丁度|金《かね》の輪《わ》でもはずすように「さん・せばすちあん」の円光をとってしまう。それから彼等は樟《くす》の木の下にもう一度何か話しはじめる。みちの上に落ちた円光は徐ろに大きい懐中時計になる。時刻は二時三十分。
44[#「44」は縦中横]
この山みちのうねったあたり。但し今度は木や岩は勿論《もちろん》、山みちに立った彼等自身も斜めに上から見おろしている。月の光の中の風景はいつか無数の男女に満ちた近代のカッフェに変ってしまう。彼等の後は楽器の森。尤《もっと》もまん中に立った彼等を始め、何《なに》も彼《か》も鱗《うろこ》のように細かい。
45[#「45」は縦中横]
このカッフェの内部。「さん・せばすちあん」は大勢の踊り子達にとり囲まれたまま、当惑そうにあたりを眺めている。そこへ時々降って来る花束。踊り子達は彼に酒をすすめたり、彼の頸《くび》にぶら下ったりする。が、顔をしかめた彼はどうすることも出来ないらしい。紅毛人の船長はこう云う彼の真後ろに立ち、不相変《あいかわらず》冷笑を浮べた顔を丁度半分だけ覗《のぞ》かせている。
46[#「46」は縦中横]
前のカッフエの床。床の上には靴をはいた足が幾つも絶えず動いている。それ等の足は又いつの間にか馬の足や鶴の足や鹿の足に変っている。
47[#「47」は縦中横]
前のカッフエの隅。金鈕《きんぼたん》の服を着た黒人が一人大きい太鼓を打っている。この黒人も亦いつの間にか一本の樟の木に変ってしまう。
48[#「48」は縦中横]
前の山みち。船長は腕を組んだまま、樟の木の根もとに気を失った「さん・せばすちあん」を見おろしている。それから彼を抱き起し、半ば彼を引きずるように向うの洞穴《ほらあな》へ登って行く。
49[#「49」は縦中横]
前の洞穴の内部。但し今度も外部に面している。月の光はもう落ちていない。が、彼等の帰って来た時にはおのずからあたりも薄明るくなっている。「さん・せばすちあん」は船長を捉《とら》え、もう一度熱心に話しかける。船長はやはり冷笑したきり、何とも彼の言葉に答えないらしい。が、やっと二こと三ことしゃべると、未だに薄暗い岩のかげを指さし、彼に「見ろ」と云う手真似をする。
50[#「50」は縦中横]
洞穴の内部の隅。顋髯《あごひげ》のある死骸《しがい》が一つ岩の壁によりかかっている。
51[#「51」は縦中横]
彼等の上半身《かみはんしん》。「さん・せばすちあん」は驚きや恐れを示し、船長に何か話しかける。船長は一こと返事をする。「さん・せばすちあん」は身をすさらせ、慌てて十字を切ろうとする。が、今度も切ることは出来ない。
52[#「52」は縦中横]
Judas ………
53[#「53」は縦中横]
前の死骸――ユダの横顔。誰かの手はこの顔を捉え、マッサァジをするように顔を撫《な》でる。すると頭は透明になり、丁度一枚の解剖図のようにありありと脳髄を露《あらわ》してしまう。脳髄は始めはぼんやりと三十枚の銀を映している。が、その上にいつの間にかそれぞれ嘲《あざけ》りや憐《あわれ》みを帯びた使徒たちの顔も映っている。のみならずそれ等の向うには家《いえ》だの、湖だの、十字架だの、猥褻《わいせつ》な形をした手だの、橄欖《かんらん》の枝だの、老人だの、――いろいろのものも映っているらしい。………
54[#「54」は縦中横]
前の洞穴の内部の隅。岩の壁によりかかった死骸は徐ろに若くなりはじめ、とうとう赤児に変ってしまう。しかしこの赤児の顋《あご》にも顋髯だけはちゃんと残っている。
55[#「55」は縦中横]
赤児の死骸の足のうら。どちらの足のうらもまん中に一輪ずつ薔薇《ばら》の花を描いている。けれどもそれ等は見る見るうちに岩の上へ花びらを落してしまう。
56[#「56」は縦中横]
彼等の上半身《かみはんしん》。「さん・せばすちあん」は愈《いよいよ》興奮し、何か又船長に話しかける。船長は何とも返事をしない。が、殆《ほとん》ど厳粛に「さん・せばすちあん」の顔を見つめている。
57[#「57」は縦中横]
半ば帽子のかげになった、目の鋭い船長の顔。船長は徐ろに舌を出して見せる。舌の上にはスフィンクスが一匹。
58[#「58」は縦中横]
前の洞穴《ほらあな》の内部の隅。岩の壁によりかかった赤児の死骸《しがい》は次第に又変りはじめ、とうとうちゃんと肩車をした二匹の猿になってしまう。
59[#「59」は縦中横]
前の洞穴の内部。船長は「さん・せばすちあん」に熱心に何か話しかけている。が、「さん・せばすちあん」は頭を垂れたまま、船長の言葉を聞かずにいるらしい。船長は急に彼の腕を捉《とら》え、洞穴の外部を指さしながら、彼に「見ろ」と云う手真似《てまね》をする。
60[#「60」は縦中横]
月の光を受けた山中の風景。この風景はおのずから「磯ぎんちゃく」の充満した、嶮《けわ》しい岩むらに変ってしまう。空中に漂う海月《くらげ》の群。しかしそれも消えてしまい、あとには小さい地球が一つ広い暗《やみ》の中にまわっている。
61[#「61」は縦中横]
広い暗の中にまわっている地球。地球はまわるのを緩めるのに従い、いつかオレンジに変っている。そこへナイフが一つ現れ、真二つにオレンジを截《き》ってしまう。白いオレンジの截断面《せつだんめん》は一本の磁針を現している。
62[#「62」は縦中横]
彼等の上半身《かみはんしん》。「さん・せばすちあん」は船長にすがったまま、じっと空中を見つめている。何か狂人に近い表情。船長はやはり冷笑したまま、睫毛《まつげ》一つ動かさない。のみならず又マントルの中から髑髏《どくろ》を一つ出して見せる。
63[#「63」は縦中横]
船長の手の上に載った髑髏。髑髏の目からは火取虫《ひとりむし》が一つひらひらと空中へ昇って行《ゆ》く。それから又三つ、二つ、五つ。
64[#「64」は縦中横]
前の洞穴の内部の空中。空中は前後左右に飛びかう無数の火取虫に充《み》ち満《み》ちている。
65[#「65」は縦中横]
それ等の火取虫の一つ。火取虫は空中を飛んでいるうちに一羽の鷲《わし》に変ってしまう。
66[#「66」は縦中横]
前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」はやはり船長にすがり、いつか目をつぶっている。のみならず船長の腕を離れると、岩の上に倒れてしまう。しかし又上半身を起し、もう一度船長の顔を見上げる。
67[#「67」は縦中横]
岩の上に倒れてしまった「さん・せばすちあん」の下半身《しもはんしん》。彼の手は体を支えながら、偶然岩の上の十字架を捉える。始めは如何《いか》にも怯《お》ず怯《お》ずと、それから又急にしっかりと。
68[#「68」は縦中横]
十字架をかざした「さん・せばすちあん」の手。
69[#「69」は縦中横]
後ろを向いた船長の上半身。船長は肩越しに何かを窺《うかが》い、失望に満ちた苦笑を浮べる。それから静かに顋髯《あごひげ》を撫《な》でる。
70[#「70」は縦中横]
前の洞穴の内部。船長はさっさと洞穴を出、薄明るい山みちを下って来る。従って山みちの風景も次第に下へ移って来る。船長の後ろからは猿が二匹。船長は樟《くす》の木の下へ来ると、ちょっと立ち止まって帽をとり、誰か見えないものにお時宜《じぎ》をする。
71[#「71」は縦中横]
前の洞穴の内部。但し今度も外部に面している。しっかり十字架を握ったまま、岩の上に倒れている「さん・せばすちあん」。洞穴の外部は徐《おもむ》ろに朝日の光を仄《ほの》めかせはじめる。
72[#「72」は縦中横]
斜めに上から見おろした岩の上の「さん・せばすちあん」の顔。彼の顔は頬《ほお》の上へ徐ろに涙を流しはじめる、力のない朝日の光の中に。
73[#「73」は縦中横]
前の山みち。朝日の光の落ちた山みちはおのずから又もとのように黒いテエブルに変ってしまう。テエブルの左に並んでいるのはスペイ
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング