引っ裂いて、余る勢いに池の水を柱のごとく捲き起したようでございましたが、恵印の眼にはその刹那、その水煙と雲との間に、金色《こんじき》の爪を閃《ひらめ》かせて一文字に空へ昇って行く十丈あまりの黒竜が、朦朧《もうろう》として映りました。が、それは瞬《またた》く暇で、後《あと》はただ風雨の中に、池をめぐった桜の花がまっ暗な空へ飛ぶのばかり見えたと申す事でございます――度を失った見物が右往左往に逃げ惑って、池にも劣らない人波を稲妻の下で打たせた事は、今更別にくだくだしく申し上るまでもございますまい。
「さてその内に豪雨《ごうう》もやんで、青空が雲間《くもま》に見え出しますと、恵印は鼻の大きいのも忘れたような顔色で、きょろきょろあたりを見廻しました。一体今見た竜の姿は眼のせいではなかったろうか――そう思うと、自分が高札を打った当人だけに、どうも竜の天上するなどと申す事は、なさそうな気も致して参ります。と申して、見た事は確かに見たのでございますから、考えれば考えるほど益《ますます》審《ふしん》でたまりません。そこで側《かたわら》の柱の下に死んだようになって坐っていた叔母の尼を抱《だ》き起しますと、妙にてれた容子《ようす》も隠しきれないで、『竜を御覧《ごろう》じられたかな。』と臆病らしく尋ねました。すると叔母は大息をついて、しばらくは口もきけないのか、ただ何度となく恐ろしそうに頷《うなず》くばかりでございましたが、やがてまた震え声で、『見たともの、見たともの、金色《こんじき》の爪ばかり閃かいた、一面にまっ黒な竜神《りゅうじん》じゃろが。』と答えるのでございます。して見ますと竜を見たのは、何も鼻蔵人《はなくろうど》の得業恵印《とくごうえいん》の眼のせいばかりではなかったのでございましょう。いや、後で世間の評判を聞きますと、その日そこに居合せた老若男女《ろうにゃくなんにょ》は、大抵皆雲の中に黒竜の天へ昇る姿を見たと申す事でございました。
「その後恵印は何かの拍子《ひょうし》に、実はあの建札は自分の悪戯《いたずら》だったと申す事を白状してしまいましたが、恵門を始め仲間の法師は一人もその白状をほんとうとは思わなかったそうでございます。これで一体あの建札の悪戯は図星《ずぼし》に中《あた》ったのでございましょうか。それとも的《まと》を外れたのでございましょうか。鼻蔵《はなくら》の、鼻蔵人《はなくろうど》の、大鼻の蔵人得業《くろうどとくごう》の恵印法師に尋ねましても、恐らくこの返答ばかりは致し兼ねるのに相違ございますまい…………」

        三

 宇治大納言隆国《うじだいなごんたかくに》「なるほどこれは面妖《めんよう》な話じゃ。昔はあの猿沢池《さるさわのいけ》にも、竜が棲《す》んで居ったと見えるな。何、昔もいたかどうか分らぬ。いや、昔は棲んで居ったに相違あるまい。昔は天《あめ》が下の人間も皆|心《しん》から水底《みなそこ》には竜が住むと思うて居った。さすれば竜もおのずから天地《あめつち》の間《あいだ》に飛行《ひぎょう》して、神のごとく折々は不思議な姿を現した筈じゃ。が、予に談議を致させるよりは、その方どもの話を聞かせてくれい。次は行脚《あんぎゃ》の法師の番じゃな。
「何、その方の物語は、池《いけ》の尾《お》の禅智内供《ぜんちないぐ》とか申す鼻の長い法師の事じゃ? これはまた鼻蔵の後だけに、一段と面白かろう。では早速話してくれい。――」      
[#地から1字上げ](大正八年四月)



底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
   1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月8日公開
2004年3月13日修正
青空文庫作成ファイル:
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