一つの顏を覗きこむやうに眺《なが》めてゐた。髮の毛の長い所を見ると、多分《たぶん》女《をんな》の屍骸であらう。
 下人は、六分の恐怖《きやうふ》と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸《いき》をするのさへ忘れてゐた。舊記の記者《きしや》の語を借りれば、「頭身《とうしん》の毛も太る」やうに感じたのである。すると、老婆《らうば》は、松の木片を、床板の間に挿《さ》して、それから、今まで眺めてゐた屍骸の首に兩手《りやうて》をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱《しらみ》をとるやうに、その長い髮《かみ》の毛《け》を一本づゝ拔きはじめた。髮は手に從《したが》つて拔けるらしい。
 その髮の毛が、一本ずゝ拔《ぬ》けるのに從つて下人の心《こゝろ》からは、恐怖が少しづつ消えて行つた。さうして、それと同時《どうじ》に、この老婆に對するはげしい憎惡《ぞうを》が、少しづゝ動いて來た。――いや、この老婆《らうば》に對すると云つては、語弊《ごへい》があるかも知れない。寧、あらゆる惡に對する反感《はんかん》が、一分毎に強さを増して來たのである。この時、誰《たれ》かがこの下人に、さつき門《もん》の下でこの男が考へてゐた、
前へ 次へ
全17ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング