《なぜ》かと云ふと、この二三年、京都には、地震《ぢしん》とか辻風とか火事とか饑饉とか云ふ災《わざはひ》がつゞいて起つた。そこで洛中《らくちう》のさびれ方《かた》は一通りでない。舊記によると、佛像や佛具を打砕《うちくだ》いて、その丹《に》がついたり、金銀の箔《はく》がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪《たきぎ》の料《しろ》に賣つてゐたと云ふ事である。洛中《らくちう》がその始末であるから、羅生門の修理《しゆり》などは、元より誰も捨てゝ顧《かへりみ》る者がなかつた。するとその荒《あ》れ果《は》てたのをよい事にして、狐狸《こり》が棲む。盗人《ぬすびと》が棲む。とうとうしまひには、引取《ひきと》り手のない死人を、この門へ持つて來て、棄てゝ行くと云ふ習慣《しふくわん》さへ出來た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも氣味《きみ》を惡るがつて、この門の近所《きんじよ》へは足《あし》ぶみをしない事になつてしまつたのである。
その代り又|鴉《からす》が何處《どこ》からか、たくさん集つて來た。晝間《ひるま》見《み》ると、その鴉が何羽《なんば》となく輪を描いて高い鴟尾《しび》のまはりを啼《な》きなが
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