いた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
 下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘《さや》を払って、白い鋼《はがね》の色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球《めだま》が※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶた》の外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗《しゅうね》く黙っている。これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後《あと》に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。
「己《おれ》は検非違使《けびいし》の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄《なわ》をかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」
 すると、老婆は、
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