けのガアゼを見ただけでも、肉体的に忽ち不快になつてしまふ。
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 僕は度たび他人のことを死ねば善《よ》いと思つたことがある。その又死ねば善いと思つた中には僕の肉親さへゐないことはない。
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 僕はどう云ふ良心も、――芸術的良心さへ持つてゐない。が、神経は持ち合せてゐる。
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 僕は滅多《めつた》に憎んだことはない。その代りには時々軽蔑してゐる。
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 僕自身の経験によれば、最も甚しい自己|嫌悪《けんを》の特色はあらゆるものに※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》を見つけることである。しかもその又発見に少しも満足を感じないことである。
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 僕はいろいろの人の言葉にいつか耳を傾けてゐる。たとへば肴屋《さかなや》の小僧などの「こんちはア」と云ふ言葉に。あの言葉は母音《ぼいん》に終つてゐない、ちよつと羅馬字《ロオマじ》に書いて見れば、Konchiwaas と云ふのである。なぜ又あの言葉は必要もないSを最後に伴《ともな》ふのかしら。
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 僕はいつも僕一人ではない。息子《むすこ》、亭主、牡《をす》、人生観上の現実主
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