な。)
  足袋《たび》を干《ほ》す畠の木にも枝のなり   隆一

     2

 堀辰雄《ほりたつを》君も僕よりは年少である。が、堀君の作品も凡庸ではない。東京人、坊ちやん、詩人、本好き――それ等の点も僕と共通してゐる。しかし僕のやうに旧時代ではない。僕は「新感覚」に恵まれた諸家の作品を読んでゐる。けれども堀君はかう云ふ諸家に少しも遜色《そんしよく》のある作家ではない。次の詩は決して僕の言葉の誇張でないことを明らかにするであらう。
[#ここから2字下げ]
硝子《ガラス》の破れてゐる窓
僕の蝕歯《むしば》よ
夜《よる》になるとお前のなかに
洋燈《ランプ》がともり
ぢつと聞いてゐると
皿やナイフの音がして来る。
[#ここで字下げ終わり]
 堀君の小説も亦《また》この詩のやうな特色を具《そな》へたものである。年少の作家たちは明日《あす》にも続々と文壇に現れるであらう。が、堀君もかう云ふ作家たちの中にいつか誰も真似手《まねて》のない一人《ひとり》となつて出ることは確かである。由来我々日本人は「早熟にして早老」などと嘲《あざけ》られ易い。が、熱帯の女人《によにん》の十三にして懐妊《くわいにん》することを考へれば、温帯の男子《なんし》の三十にして頭の禿《は》げるのは当り前である。のみならず「早熟にして晩老」などと云ふ、都合《つがふ》の好《い》いことは滅多《めつた》にはない。僕は無遠慮《ぶゑんりよ》に堀君の早熟することを祈るものである。「悪の華《はな》」の成つたのは作者の二十五歳(?)の時だつた。年少高科に登るのは老大低科に居《を》るのよりも好《よ》い。晩老する工夫《くふう》などは後《あと》にし給へ。

     3

 この後《あと》は誰を書いても善《よ》い。又誰を書かないでも善い。すると書かずにゐるほど気楽であるから、「3」と書いただけでやめることにした。
[#地から1字上げ](昭和二年五月)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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