フかなと思っていると、まだ、それを手にしない中《うち》に、玄関の障子《しょうじ》のかげにいた人が、「どうぞこちらへ」と声をかけた。
 受附のような所で、罫紙《けいし》の帳面に名前を書いて、奥へ通ると、玄関の次の八畳と六畳と、二間一しょにした、うす暗い座敷には、もう大分、客の数が見えていた。僕は、人中《ひとなか》へ出る時は、大抵、洋服を着てゆく。袴《はかま》だと、拘泥《こうでい》しなければならない。繁雑な日本の 〔e'tiquette〕 も、ズボンだと、しばしば、大目に見られやすい。僕のような、礼節になれない人間には、至極便利である。その日も、こう云う訳で、僕は、大学の制服を着て行った。が、ここへ来ている連中の中には、一人も洋服を着ているものがない。驚いた事には、僕の知っている英吉利人《イギリスじん》さえ、紋附《もんつき》にセルの袴で、扇《おうぎ》を前に控えている。Kの如き町家の子弟が結城紬《ゆうきつむぎ》の二枚襲《にまいがさね》か何かで、納まっていたのは云うまでもない。僕は、この二人の友人に挨拶をして、座につく時に、いささか、〔e'tranger〕 の感があった。
「これだけ、お客があっては、――さんも大よろこびだろう。」Kが僕に云った。――さんと云うのは、僕に招待状をくれた人の名である。
「あの人も、やはり人形を使うのかい。」
「うん、一番か二番は、習っているそうだ。」
「今日も使うかしら。」
「いや、使わないだろう。今日は、これでもこの道のお歴々《れきれき》が使うのだから。」
 Kは、それから、いろいろ、野呂松人形の話をした。何でも、番組の数は、皆で七十何番とかあって、それに使う人形が二十幾つとかあると云うような事である。自分は、時々、六畳の座敷の正面に出来ている舞台の方を眺めながら、ぼんやりKの説明を聞いていた。
 舞台と云うのは、高さ三尺ばかり、幅二間ばかりの金箔《きんぱく》を押した歩衝《ついたて》である。Kの説によると、これを「手摺《てす》り」と称するので、いつでも取壊せるように出来ていると云う。その左右へは、新しい三色緞子《さんしょくどんす》の几帳《きちょう》が下っている。後《うしろ》は、金屏風《きんびょうぶ》をたてまわしたものらしい。うす暗い中に、その歩衝《ついたて》と屏風との金が一重《ひとえ》、燻《いぶ》しをかけたように、重々しく夕闇を破っている。――
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