のだらうと思つてゐる。
 しかし兎《と》に角《かく》李九齢《りきうれい》は窓前の流水と枕前の書とに悠悠たる清閑《せいかん》を領してゐる。その点は甚だ羨ましい。僕などは売文に餬口《ここう》する為に年中|※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]忙《そうばう》たる思ひをしてゐる。ゆうべも二時頃まで原稿を書き、やつと床へはひつたと思つたら、今度は電報に叩き起された。社命、僕にサンデイ毎日の随筆を書けと云ふ電報である。
 随筆は清閑の所産である。少くとも僅に清閑の所産を誇つてゐた文芸の形式である。古来の文人多しと雖《いへど》も、未《いま》だ清閑さへ得ないうちに随筆を書いたと云ふ怪物はない。しかし今人《こんじん》は(この今人と云ふ言葉は非常に狭い意味の今人である。ざつと大正十二年の三四月以後の今人である)清閑を得ずにもさつさと随筆を書き上げるのである。いや、清閑を得ずにもではない。寧《むし》ろ清閑を得ない為に手つとり早い随筆を書き飛ばすのである。
 在来の随筆は四種類である。或はもつとあるかも知れない。が、ゆうべ五時間しか寝ない現在の僕の頭によると、第一は感慨を述べたものである。第二は異聞《いぶ
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