。もし久保田万太郎君を第三の浅草の詩人とすれば、第二の浅草の詩人もない訣《わけ》ではない。谷崎潤一郎《たにざきじゆんいちらう》君もその一人《ひとり》である。室生犀星《むろふさいせい》君も亦《また》その一人である。が、僕はその外《ほか》にもう一人の詩人を数へたい。といふのは佐藤惣之助《さとうそうのすけ》君である。僕はもう四五年|前《まへ》、確か雑誌「サンエス」に佐藤君の書いた散文を読んだ。それは僅か数|頁《ペエジ》にオペラの楽屋を描《ゑが》いたスケツチだつた。が、キユウピツドに扮《ふん》した無数の少女の廻り梯子《ばしご》を下《くだ》る光景は如何《いか》にも溌剌《はつらつ》[#「溌剌」は底本では「溌刺」]としたものだつた。
第二の浅草の記憶は沢山《たくさん》ある。その最も古いものは砂文字《すなもじ》の婆さんの記憶かも知れない。婆さんはいつも五色《ごしき》の砂に白井権八《しらゐごんぱち》や小紫《こむらさき》を描《か》いた。砂の色は妙に曇つてゐたから、白井権八や小紫もやはりもの寂びた姿をしてゐた。それから長井兵助《ながゐひやうすけ》と称した。蝦蟇《がま》の脂《あぶら》を売る居合抜《ゐあひぬ》きである。あの長い刀をかけた、――いや、かういふ昔の景色は先師|夏目《なつめ》先生の「彼岸過迄《ひがんすぎまで》」に書いてある以上、今更僕の悪文などは待たずとも好《よ》いのに違ひない。その後ろは水族館である、安本亀八《やすもとかめはち》の活人形《いきにんぎやう》である、或は又珍世界のX光線である。
更にずつと近い頃の記憶はカリガリ博士のフイルムである。(僕はあのフイルムの動いてゐるうちに、僕の持つてゐたステツキの柄《え》へかすかに糸を張り渡す一匹の蜘蛛《くも》を発見した。この蜘蛛は表現派のフイルムよりも、数等僕には気味の悪い印象を与へた覚えがある。)さもなければロシアの女|曲馬師《きよくばし》である。さう云ふ記憶は今になつて見るとどれ一つ懐しさを与へないものはない。が、最も僕の心にはつきりと跡を残してゐるのは佐藤君の描《ゑが》いた光景である。キユウピツドに扮《ふん》した無数の少女の廻り梯子《ばしご》を下《くだ》る光景である。
僕も亦《また》或晩春の午後、或オペラの楽屋の廊下《らうか》に彼等の一群《いちぐん》を見たことがある。彼等は佐藤君の書いたやうに、ぞろぞろ廻り梯子《ばしご》を下つて行つた。薔薇《ばら》色の翼、金色《きんいろ》の弓、それから薄い水色の衣裳《いしやう》、――かう云ふ色彩を煙らせた、もの憂いパステルの心もちも佐藤君の散文の通りである。僕はマネジヤアのN君と彼等のおりるのを見下《みおろ》しながら、ふとその中のキユウピツドの一人《ひとり》の萎《しを》れてゐるのを発見した。キユウピツドは十五か十六であらう。ちらりと見た顔は頬《ほほ》の落ちた、腺病質《せんびやうしつ》らしい細おもてである。僕はN君に話しかけた。
「あのキユウピツドは悄気《しよげ》てゐますね。舞台監督にでも叱られたやうですね。」
「どれ? ああ、あれですか? あれは失恋してゐるのですよ。」
N君は無造作《むざうさ》に返事をした。
このキユウピツドの出るオペラは喜歌劇だつたのに違ひない。しかし人生は喜歌劇にさへ、――今更そんなモオラルなどを持ち出す必要はないかも知れない。しかし兎《と》に角《かく》月桂《げつけい》や薔薇《ばら》にフツト・ライトの光を受けた思ひ出の中の舞台には、その後《ご》もずつと影のやうにキユウピツドが一人《ひとり》失恋してゐる。……
[#地から1字上げ](大正十三年一月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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