に六馬行宮を発せむとす。時に義仲の騎来り報じて曰「東軍既に木幡伏見に至る」と。
彼、事愈※[#二の字点、1−2−22]危きを知り、遂に一百の革命軍を従へて、決然として西洞院の第を出でぬ。赤地の錦の直垂に唐綾縅の鎧きて、鍬形うつたる兜の緒をしめ、重籐の弓のたゞ中とつて、葦毛の駒の逞しきに金覆輪の鞍置いて跨つたる、雄風凛然、四辺を払つて、蹄声戞々、東に出づれば、東軍の旗幟既に雲霞の如く、七条八条法性寺柳原の天を掩ひ戦鼓を打ちて閧をつくる、声地を振つて震雷の如し。義仲の勢、死戦して之に当り、且戦ひ、且退き、再、院の御所に至れば、院門をとぢて入れ給はず、行親等の精鋭百余騎、奮戦して悉く死し、彼遂に囲を破つて勢多に走る、従ふもの僅に七騎、既にして、今井四郎兼平敗残の兵三百余を率ゐて、粟津に合し、共に※[#「金+(鹿/れっか)」、第3水準1−93−42]をならべて北越に向ふ。時実に寿永三年正月二十日、粟津原頭、黄茅蕭条として日色淡きこと夢の如く、疎林遠うして落葉紛々、疲馬頻に嘶いて悲風面をふき、大旗空しく飜つて哀涙袂を沾す。嘗て、木曾三千の健児に擁せられて、北陸七州を巻く事席の如く、長策をふるつて
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