、其火の如くなる功名心、皆、此「上有横河断海之浮雲、下有衝波逆折之回川」の木曾の高山幽壑の中に磅※[#「石+薄」、第3水準1−89−18]したる、家庭の感化の中より得来れるや、知るべきのみ。吾人既に彼が時勢を見、既に彼が境遇を見る、彼が如何なる人物にして、彼が雄志の那辺に向へるかは、吾人の解説を待つて之を知らざる也。
今や、跼天蹐地の孤児は漸くに青雲の念燃ゆるが如くなる青年となれり。而して彼は満腔の覇気、欝勃として抑ふべからざると共に、短褐孤剣、飄然として天下に放浪したり。彼が此数年の放浪は、実に彼が活ける学問なりき。吾人は彼が放浪について多く知る所あらざれども、彼は屡※[#二の字点、1−2−22]京師に至りて六波羅のほとりをも徘徊したるが如し。彼は、恐らく、此放浪によりて天下の大勢の眉端に迫れるを、最も切実に感じたるならむ。恐らくは又、其功名の念にして、更に幾斛の油を注がれたりしならむ。想ふ、彼が独り京洛の路上に立ちて、平門の貴公子が琵琶を抱いて落花に対するを望める時、殿上の卿相が玉笛を吹いて春に和せるを仰げる時、はた入道相国が輦車を駆り、兵仗を従へ、儀衛堂々として、濶歩せるを眺めし
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