平に戮せらるゝや、義平、彼の禍をなさむ事を恐れ、畠山庄司重能をして、彼を求めしむる、急也。重能彼の幼弱なるを憫み、竊に之を斎藤別当実盛に託し、実盛亦彼を東国にあらしむるの危きを察して、之を附するに中三権頭兼遠を以てしぬ。而して中三権頭兼遠は、実に木曾の渓谷に雄視せる豪族の一なりき。時に彼は年僅に二歳、彼のローマンチツクなる生涯は、既に是に兆せし也。
吾人は、彼の事業を語るに先だち、先づ木曾を語らざるべからず。何となれば、彼の木曾に在る二十余年、彼の一生が此間に多大の感化を蒙れるは、殆ど疑ふべからざれば也。請ふ吾人をして源平盛衰記を引かしめよ。曰、
[#ここから1字下げ]
木曾と云ふ所は究竟の城廓なり、長山遙に連りて禽獣稀にして嶮岨屈曲也、渓谷は大河漲り下つて人跡亦幽なり、谷深く桟危くしては足を峙てて歩み、峰高く巌稠しては眼を載せて行く、尾を越え尾に向つて心を摧き、谷を出で谷に入つて思を費す、東は信濃、上野、武蔵、相摸に通つて奥広く、南は美濃国に境道一にして口狭し、行程三日の深山也。縦、数千万騎を以ても攻落すべき様もなし、況や、桟梯引落して楯籠らば、馬も人も通ふべき所にあらずと。
[#こ
前へ
次へ
全70ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング