沢に謳歌せむには、余りに不覊なる豪骨を有したりき。彼は、群を離れたる鴻雁なれども、猶万里の扶揺を待つて、双翼を碧落に振はむとするの壮心を有す。彼は平門の※[#「糸+丸」、第3水準1−89−90]袴子が、富の快楽に沈酔して、七香の車、鸚鵡の杯、揚々として、芳槿一朝の豪華を誇りつゝありしに際し、其烱眼を早くも天下の大勢に注ぎたり。而して、彼は既に、平門の惰眠を破る暁鐘の声を耳にしたり。彼は思へり、「平家は、栄華身に余り、積悪年久しく、運命末に望めり」と。彼は思へり、「上は天の意に応じ、下は地の利を得たり、義兵を挙げ逆臣を討ち、法皇の叡慮を慰め奉らむ」と。彼は思へり、「六孫王の苗裔、源氏の家子郎等を、駈具せば天が下何ものをか恐るべき」と。胸中の成竹既に定まる。彼は是に於て、其袖下に隠れて大義を天下に唱ふべき名門を求めたり。而して彼の擁立したるは、実に後白河法皇の第二の皇子、賢明人に超え給へる、而して未親王の宣下をも受け給はざる、高倉宮以仁王なりき。見よ。彼の烱眼は此点に於ても、事機を見るに過たざりしにあらずや。彼は近く平治の乱に於て主上上皇の去就が、よく源平両氏の命運を制したるを見たり。彼は
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