※[#「霄」の「雨」に代えて「竹かんむり」、第3水準1−89−66]の豎児、平判官知康なりき。事を用ふるを好み給へる、法皇は、知康の暴挙に賛し、竊に、南都北嶺の僧兵及乞食法師辻冠者等をして、義仲追討の暴挙に与らしめ給へり。而して十一月十八日仁和寺法親王、延暦寺座主明雲、亦武士を率ゐて法住寺殿に至り、遂に義仲に対するクーデターは行はれたり。法皇は事実に於て、義仲に戦を挑み給へり。彼の前には唯、叛逆と滅亡との両路を存したり。燃ゆるが如くなる、血性の彼にして、焉ぞ手を袖して誅戮を待たむや。彼は憤然として意を決したり、あらず、意を決せざるべからざるに至れる也。彼は剣を按じて絶叫したり。「いかさまこは鼓判官がきようがいと覚ゆるぞ。軍能うせよ、者共。」而して白旗直に法住寺殿を指し、刀戟霜の如くにして鉄騎七千、稲麻の如く御所を囲み乱箭を飛ばして、天台座主明雲を殺し、院側の姦を馘るもの一百十余人、其愛する北国の勇士、革命の健児等をして凱歌を唱へしむる、実に三たび。木曾の野人のなす所はかくの如く不敵にして、しかもかくの如く痛激なり。
彼は其云はむと欲する所を云ひ、なさむと欲する所を為す、敢て何等の衒気なく何等の矯飾なかりき。然り彼は不軌の臣也、然れども、彼は不軌の何たるかを知らざりし也。
今や彼は、剣佩の響と共にクーデターに与りたる卿相四十余人の官職を奪ひ、義弟藤原師家をして摂政たらしめ、頼朝追討の院宣と征夷大将軍の栄位とを得、壮心落々として頼朝と戦はむと欲したり。然れ共彼が此一挙は、遂に盗を見て繩を綯ふに類したりき。魚に臨ンで網を結ぶに類したりき。何となれば、反心を抱ける行家は、既に河内によりて義仲に叛き、九郎義経の征西軍は早くも尾張熱田に至り、鎌倉殿の号令一度下らば、「白日秦兵天上来」の勢を示さむとしたれば也。
是に於て彼は懼然として恐れたり。出でて頼朝と戦はむ乎、水島室山の戦ありてより連勝の余威を恃める平氏が、竜舟錦帆、八島を発し鸞輿を擁して京洛に入らむとするや、火を見るよりも明也。退いて洛陽に拒守せむ乎、鞍馬の頑児と、蒼髯の老賊とが、※[#「瞽」の「目」に代えて「卑」、第4水準2−94−67]鼓を打つて来り迫るや知るべきのみ。彼の命運や窮したり。勇名一代を震撼したる旭日将軍もかくして、日一日より死を見るの近きにすゝめり。しかも、彼の平氏に対して提したる同盟策が、濶達勇悍の好将軍知盛によつて、拒否せらるゝや、彼が滅亡は漸く一弾指の間に迫り来れり。
寿永三年正月、彼が、股肱の臣樋口次郎兼光をして行家を河内に討たしむるや、兵を用ふること迅速、敏捷、元の太祖が所謂、敵を衝く飢鷹の餌を攫むが如くなる、東軍の飛将軍、源九郎義経は、其慣用手段たる、孤軍長駆を以て、突として宇治に其白旄をひるがへしたり。同時に蒲冠者範頼の大軍は、潮の湧くが如く東海道を上りて、前軍早くも勢多に迫り、義仲の北走を拒がむと試みたり。根井大弥太行親、今井四郎兼平、義仲の命を奉じて東軍を逆ふ。其勢実に八百余騎、既にして両軍戈を宇治勢多に交ふるや、東軍の精鋭当るべからず。北風競はずして義仲の軍大に破れ、士卒矛をすてて走るもの数百人、東軍の軍威隆々として破竹の如し。
是に於て壮士二十人を従へて法皇を西洞院の第に守れる彼は、遂に法皇を擁して北国に走り、捲土重来の大計をめぐらすの外に策なきを見たり。而して彼、法皇に奏して曰「東賊、既に来り迫る、願くは竜駕を擁して醍醐寺に避けむ」と、法皇従ひ給はず。彼憤然として階下に進み剣を按じ眦を決して、行幸を請ふ、益※[#二の字点、1−2−22]急。法皇止む事を得ずして将に六馬行宮を発せむとす。時に義仲の騎来り報じて曰「東軍既に木幡伏見に至る」と。
彼、事愈※[#二の字点、1−2−22]危きを知り、遂に一百の革命軍を従へて、決然として西洞院の第を出でぬ。赤地の錦の直垂に唐綾縅の鎧きて、鍬形うつたる兜の緒をしめ、重籐の弓のたゞ中とつて、葦毛の駒の逞しきに金覆輪の鞍置いて跨つたる、雄風凛然、四辺を払つて、蹄声戞々、東に出づれば、東軍の旗幟既に雲霞の如く、七条八条法性寺柳原の天を掩ひ戦鼓を打ちて閧をつくる、声地を振つて震雷の如し。義仲の勢、死戦して之に当り、且戦ひ、且退き、再、院の御所に至れば、院門をとぢて入れ給はず、行親等の精鋭百余騎、奮戦して悉く死し、彼遂に囲を破つて勢多に走る、従ふもの僅に七騎、既にして、今井四郎兼平敗残の兵三百余を率ゐて、粟津に合し、共に※[#「金+(鹿/れっか)」、第3水準1−93−42]をならべて北越に向ふ。時実に寿永三年正月二十日、粟津原頭、黄茅蕭条として日色淡きこと夢の如く、疎林遠うして落葉紛々、疲馬頻に嘶いて悲風面をふき、大旗空しく飜つて哀涙袂を沾す。嘗て、木曾三千の健児に擁せられて、北陸七州を巻く事席の如く、長策をふるつて
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