、其差何ぞ独り天淵のみならむや。三たび云ふ、彼は真に熱情の人也。彼が将として成功し、相として失敗したる、亦職として之に因らずンばあらず。百難を排して一世を平にし、千紛を除いて大計を定む、唯大なる手の人たるを要す。片雲を仰いで風雪を知り、巷語を耳にして大勢を算す、唯大なる眼の人たるを要す。相印を帯びて天下に臨む、或は一滴の涙なきも可也。李林甫の半夜高堂に黙思するや、明日必殺ありしと云ふが如き、豈此間の消息を洩すものにあらずや。然りと雖も、三軍を率ゐて逐鹿を事とす、眼の人たらざるも或は可、手の人たらざるも亦或は可、唯若し涙の人たらざるに至つては、断じて将帥の器を以てゆるす可からず、以て大樹の任に堪ふ可からず。彼は此点に於て、好個の将軍たるに愧ぢざりき。而して彼に帰服せる七州の健児は、彼の涙によりて激励せられ鼓吹せられ、よく赤幟幾万の大軍を撃破したり。しかも彼の京師に入るや、彼は其甲冑を脱して、長裾を曳かざる可からざるの位置に立ちたりき。彼は冷眼と敏腕とを要するの位置に立ちたりき。彼は唱難鼓義の位置より一転して撥乱反正の位置に立ちたりき。約言すれば彼は其得意の位置よりして、其不得意の位置に立ちたりき。然れども彼は天下を料理するには、余りに温なる涙を有したりき。彼は一世を籠罩するには、寧ろ余りに血性に過ぎたりき。彼は到底、袍衣大冠して廟廊の上に周旋するの材にあらず、其政治家として失敗したる亦宜ならずとせむや。寿永革命史中、経世的手腕ある建設的革命家としての標式は、吾人之を独り源兵衛佐頼朝に見る。彼が朝家に処し、平氏に処し、諸国の豪族に処し、南都北嶺に処し、守護地頭の設置に処し、鎌倉幕府の建設に処するを見る、飽く迄も打算的に飽く迄も組織的に、天下の事を断ずる、誠に快刀を以て乱麻をたつの概ありしものの如し。頼朝は殆ど予期と実行と一致したり。順潮にあらずンば軽舟を浮べざりき。然れども義仲は成敗利鈍を顧みざりき、利害得失を計らざりき。彼は塗墻に馬を乗り懸くるをも辞せざりき。かくして彼は相として敗れたり。而して彼が一方に於て相たるの器にあらざると共に、他方に於て将たるの材を具へたるは、則ち義仲の義仲たる所以、彼が革命の健児中の革命の健児たる所以にあらずや。
彼は野性の児也。彼の衣冠束帯するや、天下為に嗤笑したり。彼が弓箭を帯して禁闕を守るや、時人は「色白うみめはよい男にてありけれど、
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