、之と戦ふを辞せざる也。見よ、西乗坊信救は、「太政入道浄海は、平家の糟糠、武家の塵芥」と痛罵して、憚らざりしにあらずや。彼の眼よりすれば、海内の命を掌握に断ぜる入道相国も、唯是剛情なる老黄牛に過ぎざる也。しかも彼等は、平刑部卿忠盛が、弓を祇園の神殿にひきしより以来、平氏に対して止むべからざる怨恨を抱き、彼等の怨恨は、平氏の常に執り来れる高圧的手段によつて、更に万斛の油を注がれたるをや。所謂、青天に霹靂を下し、平地に波濤を生ずるを顧みざる彼等にして、危険なる不平と恐怖すべき兵力を有し、しかも、触るれば手を爛焼せむとする、宗教的赤熱を帯ぶ、天下一朝動乱の機あれば、彼等が疾風の如く起つて平氏に抗するは、智者を待つて後始めて、知るにあらざる也。
かくの如くにして、卿相の反感と、院の近臣の陰謀とは、疎胆、雄心の入道相国をして、遂に福原遷都の窮策に出で、僅に其横暴を免れしめたる、烈々たる僧兵の不平と一致したり。しかも、平氏は独り彼等の反抗を招きたるに止らず、今や入道相国の政策の成功は、彼が満幅の得意となり、彼が満幅の得意は彼が空前の栄華となり、彼が空前の栄華は、時人をして「入る日をも招き返さむず勢」と、驚歎せしめたる彼が不臣の狂悖となれり。天下は亦平氏に対して少からざる怨嗟と不安とを、感ぜざる能はざりき。彼が折花攀柳の遊宴を恣にしたるが如き、彼が一豎子の私怨よりして関白基房の輦車を破れるが如き、将彼が赤袴三百の童児をして、飛語巷説を尋ねしめしが如き、平氏が天下に対して其同情を失墜したる亦宜ならずとせず。是に於て平氏政府は、刻々ピサの塔の如く、傾き来れり。
然れ共、平氏が猶其の覆滅を来さざりしは、実に小松内大臣が、円融滑脱なる政治的手腕による所多からずンばあらず。吾人は敢て彼を以て、偉大なる政治家となさざるべし。さはれ彼は、夏日恐るべき乃父清盛を扶けて、冬日親むべき政略をとれり。如何に彼が其直覚的烱眼に於て、入道相国に及ばざるにせよ、如何に彼が組織的頭脳に於て、信西入道に劣る遠きにせよ、如何に一身の安慰を冥々に求めて、公義に尽すこと少きの譏を免れざるにせよ、如何に智足りて意足らず、意足りて手足らず、隔靴掻痒の憂を抱かしむるものあるにせよ、吾人は少くも、彼が大臣たる資格を備へたるを、認めざる能はず。彼は一身を以て、嫉妬に充満したる京師の空気と、烈火の如き入道相国との衝突を融和しつゝ
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