種の羞恥《しゅうち》を感じて、しばらくの間はひっそりと、賑《にぎやか》な笑い声を絶ってしまった。が、その中で丹波先生だけは、ただ、口を噤《つぐ》むべく余りに恐縮と狼狽《ろうばい》とを重ねたからでもあったろう。「あの帽子が古物だぜ」と、云いかけた舌をちょいと出して、素早く運動帽をかぶったと思うと、突然くるりと向きを変えて、「一――」と大きく喚《わめ》きながら、チョッキ一つの肥った体を、やにわに鉄棒へ抛りつけた。そうして「海老上《えびあが》り」の両足を遠く空ざまに伸しながら、「二――」と再び喚いた時には、もう冬の青空を鮮《あざやか》に切りぬいて、楽々とその上に上《あが》っていた。この丹波先生の滑稽なてれ隠しが、自分たち一同を失笑させたのは無理もない。一瞬間声を呑んだ機械体操場の生徒たちは、鉄棒の上の丹波先生を仰ぎながら、まるで野球の応援でもする時のように、わっと囃《はや》し立てながら、拍手をした。
 こう云う自分も皆と一しょに、喝采《かっさい》をしたのは勿論である。が、喝采している内に、自分は鉄棒の上の丹波先生を、半ば本能的に憎み出した。と云ってもそれだけまた、毛利先生に同情を注いだと云う訳でもない。その証拠にはその時自分が、丹波先生へ浴びせた拍手は、同時に毛利先生へ、自分たちの悪意を示そうと云う、間接目的を含んでいたからである。今自分の頭で解剖すれば、その時の自分の心もちは、道徳の上で丹波先生を侮蔑《ぶべつ》すると共に、学力の上では毛利先生も併せて侮蔑していたとでも説明する事が出来るかも知れない。あるいはその毛利先生に対する侮蔑は、丹波先生の「あの帽子が古物《こぶつ》だぜ」によって、一層然るべき裏書きを施《ほどこ》されたような、ずうずうしさを加えていたとも考える事が出来るであろう。だから自分は喝采しながら、聳《そびや》かした肩越しに、昂然として校舎の入口を眺めやった。するとそこには依然として、我《わが》毛利先生が、まるで日の光を貪《むさぼ》っている冬蠅《ふゆばい》か何かのように、じっと石段の上に佇《たたず》みながら、一年生の無邪気な遊戯を、余念もなく独り見守っている。その山高帽子とその紫の襟飾《ネクタイ》と――自分は当時、むしろ、哂《わら》うべき対象として、一瞥の中《うち》に収めたこの光景が、なぜか今になって見ると、どうしてもまた忘れる事が出来ない。……

     
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