から家《うち》を出て行ったが、君も知っている通り、あの界隈《かいわい》は場所がらだけに、昼でも滅多《めった》に人通りがない。その淋しい路ばたに、風車売《かざぐるまう》りの荷が一台、忘れられたように置いてあった。ちょうど風の強い曇天だったから、荷に挿《さ》した色紙《いろがみ》の風車が、皆目まぐるしく廻っている。――千枝子はそう云う景色だけでも、何故《なぜ》か心細い気がしたそうだが、通りがかりにふと眼をやると、赤帽をかぶった男が一人、後向《うしろむ》きにそこへしゃがんでいた。勿論これは風車売が、煙草《たばこ》か何かのんでいたのだろう。しかしその帽子の赤い色を見たら、千枝子は何だか停車場へ行くと、また不思議でも起りそうな、予感めいた心もちがして、一度は引き返してしまおうかとも、考えたくらいだったそうだ。
が、停車場へ行ってからも、出迎えをすませてしまうまでは、仕合せと何事も起らなかった。ただ、夫の同僚を先に、一同がぞろぞろ薄暗い改札口を出ようとすると、誰かあいつの後《うしろ》から、「旦那様は右の腕に、御怪我《おけが》をなすっていらっしゃるそうです。御手紙が来ないのはそのためですよ。」と、声
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