かうゐん》の表門を出、これもバラツクになつた坊主《ばうず》軍鶏《しやも》を見ながら、一《ひと》つ目《め》の橋へ歩いて行つた。僕の記憶を信ずるとすれば、この一つ目の橋のあたりは大正時代にも幾分か広重《ひろしげ》らしい画趣を持つてゐたものである。しかしもう今日《こんにち》ではどこにもそんな景色は残つてゐない。僕等は無慙《むざん》にもひろげられた路《みち》を向う両国《りやうごく》へ引き返しながら、偶然「泰《たい》ちやん」の家《うち》の前を通りかかつた。「泰ちやん」は下駄屋《げたや》の息子《むすこ》である。僕は僕の小学時代にも作文は多少|上手《じやうず》だつた。が、僕の作文は、――と云ふよりも僕等の作文は、大抵《たいてい》は所謂《いはゆる》美文だつた。「富士の峯白くかりがね池の面《おもて》に下《くだ》り、空仰げば月|麗《うるは》しく、余が影法師黒し。」――これは僕の作文ではない。二三年|前《まへ》に故人になつた僕の小学時代の友だちの一人《ひとり》、――清水昌彦《しみづまさひこ》君の作文である。「泰ちやん」はかう云ふ作文の中にひとり教科書の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》のない、活き活きした口語文を作つてゐた。それは何《なん》でも「虹《にじ》」といふ作文の題の出た時である。僕は内心僕の作文の一番になることを信じてゐた。が、先生の一番にしたのは「泰ちやん」――下駄屋「伊勢甚《いせじん》」の息子|木村泰助《きむらたいすけ》君の作文だつた。「泰ちやん」は先生の命令を受け、彼自身の作文を朗読《らうどく》した。それは恐らくは誰よりも僕を動かさずにはおかなかつた。僕は勿論「泰ちやん」の為に見事に敗北を受けたことを感じた。同時に又「泰《たい》ちやん」の描《ゑが》いた「虹」にありありと夕立ちの通り過ぎたのを感じた。僕を動かした文章は東西に亘《わた》つて少くはない。しかしまづ僕を動かしたのはこの「泰ちやん」の作文である。運命は僕を売文の徒にした。若し「泰ちやん」も僕のやうにペンを執《と》つてゐたとすれば、「大東京|繁昌記《はんじやうき》」の読者はこの「本所《ほんじよ》両国《りやうごく》」よりも或は数等美しい印象記を読んでゐたかも知れない。けれども「泰ちやん」はどうしてゐるであらう? 僕は幾つも下駄の並んだ飾り窓の前に佇《たたず》んだまま、そつと店の中へ目を移した。店の中
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