なかつた。これ等の犯罪的天才は大抵《たいてい》は小説の主人公になり、更《さら》に又|所謂《いわゆる》壮士芝居の劇中人物になつたものである。僕はかういふ壮士芝居の中に「大悪僧《だいあくそう》」とか云ふものを見、一場《ひとば》々々の血なまぐささに夜も碌々《ろくろく》眠られなかつた。尤《もつと》もこの「大悪僧」は或はピストル強盗のやうに実在の人物ではなかつたかも知れない。
僕等はいつか埃《ほこり》の色をした国技館《こくぎくわん》の前へ通りかかつた。国技館は丁度《ちやうど》日光《につくわう》の東照宮《とうせうぐう》の模型《もけい》か何かを見世物《みせもの》にしてゐる所らしかつた。僕の通《かよ》つてゐた江東《かうとう》小学校は丁度《ちやうど》ここに建つてゐたものである。現に残つてゐる大銀杏《おほいてふ》も江東小学校の運動場の隅に、――といふよりも附属幼稚園の運動場の隅に枝をのばしてゐた。当時の小学校の校長の震災の為に死んだことは前に書いた通りである。が、僕はつい近頃やはり当時から在職してゐたT先生にお目にかかり、女生徒に裁縫《さいほう》を教へてゐた或女の先生も割《わ》り下水《げすゐ》に近い京極《きやうごく》子爵家(?)の溝《どぶ》の中に死んだことを知つたりした。この先生は着物は腐れ、体は骨になつてゐるものの、貯金帳だけはちやんと残つてゐた為にやつと誰だかわかつたさうである。T先生の話によれば、僕等を教へた先生たちは大抵《たいてい》は本所《ほんじよ》にゐないらしい。僕は比留間《ひるま》先生に張り倒されたことを覚えてゐる。それから宗《そう》先生に後頭部を突かれたことを覚えてゐる。それから葉若《はわか》先生に、――けれども僕の覚えてゐるのは体罰《たいばつ》を受けたことばかりではない。僕は又この小学校の中にいろいろの喜劇のあつたことも覚えてゐる。殊に大島《おほしま》と云ふ僕の親友のちやんと机に向つたまま、いつかうんこ[#「うんこ」に傍点]をしてゐたのは喜劇中の喜劇だつた。しかしこの大島|敏夫《としお》も――花や歌を愛してゐた江東小学校の秀才も二十《はたち》前後に故人になつてゐる。……
国技館の隣《とな》りに回向院《ゑかうゐん》のあることは大抵《たいてい》誰でも知つてゐるであらう。所謂《いはゆる》本場所の相撲《すまふ》も亦《また》国技館の出来ない前には回向院《ゑかうゐん》の境内《け
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