ィ金を借して貰つたり、いろいろ豊島氏の世話になつた。豊島氏は鮭《さけ》が大好きである。この頃は毎日晩酌の膳《ぜん》に、生鮭《なまざけ》、塩鮭《しほざけ》、粕漬《かすづけ》の鮭なぞが、代る代る載《の》つてゐるかも知れない。僕はこの本をひろげる時には、そんな事も亦《また》思ふ事がある。が、バイロンその人の事は、殆《ほとんど》念頭に浮べた事がない。たまに思ひ出せば五六年以前に、マゼツパやドン・ジユアンを読みかけた儘、どちらも読まずにしまつた事だけである。どうも僕はバイロンには、縁《えん》なき衆生《しゆじやう》に過ぎないらしい。
かげ草
これは夢の話である。僕は夢に従姉《いとこ》の子供と、三越《みつこし》の二階を歩いてゐた。すると書籍部と札《ふだ》を出した台に、Quarto 版の本が一冊出てゐた。誰の本かと思つたら、それが森《もり》先生の「かげ草」だつた。台の前に立つた儘、好《い》い加減に二三枚あけて見ると、希臘《ギリシヤ》の話らしい小説が出て来た。文章は素直《すなほ》な和文だつた。「これは小金井《こがねゐ》きみ子女史の訳かも知れない。何時《いつ》か古今奇観《ここんきくわん》を読んでゐたら、村田春海《むらたはるみ》の竺志船物語《つくしぶねのものがたり》と、ちつとも違はない話が出て来た。この訳の原文は何かしら。」――夢の中の僕はそんな事を思つた。が、その小説のしまひを読んだら、「わか葉生《ばせい》訳」と書いてあつた。もう少し先をあけて見ると、今度は写真版が沢山《たくさん》出て来た。みんな森先生の書画だつた。何《なん》でも蓮《はす》の画と不二見西行《ふじみさいぎやう》の画とがあつた。写真版の次は書簡集だつた。「子供が死んだから、小説は書けない。御寛恕《ごくわんじよ》下さい」と云ふのがあつた。宛《あて》は畑耕一《はたかういち》氏だつた。永井荷風《ながゐかふう》氏宛のも沢山《たくさん》あつた。それは皆どう云ふ訣《わけ》か、荷風堂《かふうだう》先生と云ふ宛名だつた。「荷風堂は可笑《をか》しいな。森先生ともあらうものが。」――夢の中の僕はそんな事も思つた。それぎり夢はさめてしまつた。僕はその日|五山館《ござんくわん》詩集に、森先生の署せられた字を見てゐた。それから畑耕一《はたかういち》氏に、煙草を一箱貰つてゐた。さう云ふ事が夢の中に何時《いつ》か織りこまれてゐたと見える
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