「然るに千五百七十六年女王エリサベスの時代に至り、始めて特別演劇興業の為め、ブラツク・フラヤス寺院の不用なる領地に於て劇場を建立《こんりふ》したり。之を英国正統なる劇場の始祖とす。而《しかし》て此《こ》はレスター伯に属し、ゼームス・ボルベージ之が主宰《しゆさい》たり。俳優にはウイリヤム・セキスピヤと云へる人あり。当時は十二歳の児童なりしが、ストラタフオルドの学校にて、羅甸《ラテン》並に希臘《ギリシヤ》の初学を卒業せしものなり」と云ふのがある。俳優にはウイリヤム・セキスピヤと云へる人あり! 三十何年か前《まへ》の日本は、髣髴《はうふつ》とこの一語に窺《うかが》ふ事が出来る。この本は希覯書《きこうしよ》でも何《なん》でもあるまい。が、僕はかう云ふ所に、捨て難いなつかしみを感じてゐる。もう一つ次手《ついで》に書き加へるが、僕は以前物好きに、明治十年代の小説を五十種ばかり集めて見た。小説そのものは仕方がない。しかしあの時代の活字本には、当世の本よりも誤植が少い。あれは一体世の中が、長閑《のどか》だつたのにもよるだらうが、僕はやはりその中に、篤実な人心が見えるやうな気がする。誤植の次手《ついで》に又思ひだしたが、何時《いつ》か石印本《せきいんぼん》の王建《わうけん》の宮詞《きゆうし》を読んでゐたら、「御池水色春来好《ぎよちのすゐしよくしゆんらいよし》、処処分流白玉渠《しよしよぶんりうすはくぎよくのきよ》、密奏君王知入月《くんわうにみつそうしつきにいるをしる》、喚人相伴洗裙裾《ひとをよんであひともなつてくんきよをあらふ》」と云ふ詩の、入月が入用と印刷してあつた。入月とは女の月経の事である。(詩中月経を用ひたのは、この宮詞に止《とど》まるかも知れない。)入用では勿論意味が分らない。僕はこの誤《あやまり》にぶつかつてから、どうも石印本なるものは、一体に信用出来なくなつた。何《なん》だか話が横道へそれたが、永井徹《ながゐてつ》著の演劇史以前に、こんな著述があつたかどうか、それが未《いまだ》に疑問である。未にと云つても僕の事だから、別に探して見た訣《わけ》ではない。唯誰かその道の識者が、教を垂《た》れて呉れるかと思つて、やはり次手《ついで》に書き加へたのである。
天路歴程
僕は又漢訳の Pilgrim's Progress を持つてゐる。これも希覯書《きこうしよ》とは称
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