い。人間の愚《ぐ》を嘲弄《ちょうろう》する悪魔の笑いに似たものである。僕は顔をしかめながら、新しい話題を持ち出すことにした。
僕「市《いち》はいつ立つのですか?」
老人「毎月必ず月はじめに立ちます。しかしそれは普通の市ですね。臨時の大市《おおいち》は一年に三度、――一月と四月と九月とに立ちます。殊に一月は書入れの市ですよ。」
僕「じゃ大市の前は大騒ぎですね?」
老人「大騒ぎですとも。誰でも大市に間《ま》に合うように思い思いの野菜を育てるのですからね。燐酸肥料《りんさんひりょう》をやる、油滓《あぶらかす》をやる、温室へ入れる、電流を通じる、――とてもお話にはなりません。中にはまた一刻も早く育てようとあせった挙句《あげく》、せっかく大事にしている野菜を枯らしてしまうものもあるくらいです。」
僕「ああ、そう云えば野菜畑にきょうも痩《や》せた男が一人、気違いのような顔をしたまま、『間《ま》に合わない、間に合わない』と駈けまわっていました。」
老人「それはさもありそうですね。新年の大市も直《じき》ですから。――町にいる商人も一人《ひとり》残らず血眼《ちまなこ》になっているでしょう。」
僕「町にいる商人と云うと?」
老人「野菜の売買をする商人です。商人は田舎《いなか》の男女の育てた野菜畑の野菜を買う、近海の島々から来た男女はそのまた商人の野菜を買う、――と云う順序になっているのです。」
僕「なるほど、その商人でしょう、これは肥《ふと》った男が一人、黒い鞄《かばん》をかかえながら、『困る、困る』と云っているのを見ました。――じゃ一番売れるのはどう云う種類の野菜ですか?」
老人「それは神の意志ですね。どう云うものとも云われません。年々《ねんねん》少しずつ違うようですし、またその違う訣《わけ》もわからないようです。」
僕「しかし善いものならば売れるでしょう?」
老人「さあ、それもどうですかね。一体野菜の善悪は片輪《かたわ》のきめることになっているのですが、……」
僕「どうしてまた片輪などがきめるのです?」
老人「片輪は野菜畑へ出られないでしょう。従ってまた野菜も作れない、それだけに野菜の善悪を見る目は自他の別を超越《ちょうえつ》する、公平の態度をとることが出来る、――つまり日本の諺《ことわざ》を使えば岡目八目《おかめはちもく》になる訣《わけ》ですね。」
前へ
次へ
全8ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング