病牀雑記
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)滝井《たきゐ》君
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)病中|閑《かん》なる
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]《そうそう》
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一、病中|閑《かん》なるを幸ひ、諸雑誌の小説を十五篇ばかり読む。滝井《たきゐ》君の「ゲテモノ」同君の作中にても一頭地《いつとうち》を抜ける出来|栄《ば》えなり。親父《おやぢ》にも、倅《せがれ》にも、風景にも、朴《ぼく》にして雅《が》を破らざること、もろこしの餅《もち》の如き味はひありと言ふべし。その手際《てぎは》の鮮《あざや》かなるは恐らくは九月小説中の第一ならん乎《か》。
二、里見《さとみ》君の「蚊遣《かや》り」も亦《また》十月小説中の白眉《はくび》なり。唯|聊《いささ》か末段《まつだん》に至つて落筆|※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]《そうそう》の憾《うら》みあらん乎《か》。他は人情的か何か知らねど、不相変《あひかはらず》巧手《かうしゆ》の名に背《そむ》かずと言ふべし。
三、旅に病めることは珍らしからず。(今度も軽井沢《かるゐざは》の寐冷《ねび》えを持ち越せるなり。)但し最も苦しかりしは丁度《ちやうど》支那へ渡らんとせる前、下《しも》の関《せき》の宿屋に倒れし時ならん。この時も高が風邪《かぜ》なれど、東京、大阪、下の関と三度目のぶり返しなれば、存外《ぞんぐわい》熱も容易には下《さが》らず、おまけに手足にはピリン疹《しん》を生じたれば、女中などは少くとも梅毒患者《ばいどくかんじや》位には思ひしなるべし。彼等の一人《ひとり》、僕を憐《あはれ》んで曰《いはく》、「注射でもなすつたら、よろしうございませうに。」
[#天から3字下げ]東雲《しののめ》の煤《すす》ふる中や下の関
四、彼は昨日《さくじつ》「小咄《こばなし》文学」を罵り、今日《こんにち》恬然《てんぜん》として「コント文学」を作る。宜《うべ》なるかな。彼の健康なるや。
五、小穴隆一《をあなりゆういち》、軽井沢の宿屋にて飯を食ふこと五椀《ごわん》の後《のち》女中の前に小皿を出し、「これに飯を少し」と言へば、佐佐木茂索《ささきもさく》、「まだ食ふ気か」と言ふ。「ううん、手紙の封をするのだ」と言へど、茂索、中中承知せず「あとでそつと食ふ気だらう」と言ふ。隆一、憮然《ぶぜん》として、「ぢや大和糊《やまとのり》にするわ」と言へば、茂索、愈《いよいよ》承知せず、「ははあ、糊《のり》でも舐《な》める気だな。」
六、それから又玉突き場《ば》に遊びゐたるに、一人《ひとり》の年少|紳士《しんし》あり。僕等の仲間に入れてくれと言ふ。彼の僕等に対するや、未《いま》だ嘗《かつて》「ます」と言ふ語尾を使はず、「そら、そこを厚く中《あ》てるんだ」などと命令すること屡《しばしば》なり。然れどもワン・ピイスを一着したる佐佐木夫人に対するや、慇懃《いんぎん》に礼を施して曰《いはく》、「あなたはソオシアル・ダンスをおやりですか?」佐佐木夫人の良人《をつと》即ち佐佐木茂索、「あいつは一体何ものかね」と言へば、何度も玉に負けたる隆一、言下《ごんか》に正体を道破して曰《いはく》、「小金《こがね》をためた玉ボオイだらう。」
七、軽井沢《かるゐざは》に芭蕉《ばせを》の句碑《くひ》あり。「馬をさへながむる雪のあしたかな」の句を刻す。これは甲子吟行《かつしぎんかう》中の句なれば、名古屋あたりの作なるべし。それを何ゆゑに刻したるにや。因《ちなみ》に言ふ、追分《おひわけ》には「吹き飛ばす石は浅間《あさま》の野分《のわき》かな」の句碑あるよし。
八、軽井沢の或|骨董屋《こつとうや》の英語、――「ジス・キリノ(桐の)・ボツクス・イズ・ベリイ・ナイス。」
九、室生犀星《むろふさいせい》、碓氷《うすひ》山上よりつらなる妙義《めうぎ》の崔嵬《さいくわい》たるを望んで曰《いはく》、「妙義山《めいぎさん》と言ふ山は生姜《しやうが》に似てゐるね。」
十、十項だけ書かんと思ひしも熱出でてペンを続けること能《あた》はず。
[#地から1字上げ](大正十四年十月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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