わん》の後《のち》女中の前に小皿を出し、「これに飯を少し」と言へば、佐佐木茂索《ささきもさく》、「まだ食ふ気か」と言ふ。「ううん、手紙の封をするのだ」と言へど、茂索、中中承知せず「あとでそつと食ふ気だらう」と言ふ。隆一、憮然《ぶぜん》として、「ぢや大和糊《やまとのり》にするわ」と言へば、茂索、愈《いよいよ》承知せず、「ははあ、糊《のり》でも舐《な》める気だな。」
六、それから又玉突き場《ば》に遊びゐたるに、一人《ひとり》の年少|紳士《しんし》あり。僕等の仲間に入れてくれと言ふ。彼の僕等に対するや、未《いま》だ嘗《かつて》「ます」と言ふ語尾を使はず、「そら、そこを厚く中《あ》てるんだ」などと命令すること屡《しばしば》なり。然れどもワン・ピイスを一着したる佐佐木夫人に対するや、慇懃《いんぎん》に礼を施して曰《いはく》、「あなたはソオシアル・ダンスをおやりですか?」佐佐木夫人の良人《をつと》即ち佐佐木茂索、「あいつは一体何ものかね」と言へば、何度も玉に負けたる隆一、言下《ごんか》に正体を道破して曰《いはく》、「小金《こがね》をためた玉ボオイだらう。」
七、軽井沢《かるゐざは》に芭蕉《ばせを》の句碑《くひ》あり。「馬をさへながむる雪のあしたかな」の句を刻す。これは甲子吟行《かつしぎんかう》中の句なれば、名古屋あたりの作なるべし。それを何ゆゑに刻したるにや。因《ちなみ》に言ふ、追分《おひわけ》には「吹き飛ばす石は浅間《あさま》の野分《のわき》かな」の句碑あるよし。
八、軽井沢の或|骨董屋《こつとうや》の英語、――「ジス・キリノ(桐の)・ボツクス・イズ・ベリイ・ナイス。」
九、室生犀星《むろふさいせい》、碓氷《うすひ》山上よりつらなる妙義《めうぎ》の崔嵬《さいくわい》たるを望んで曰《いはく》、「妙義山《めいぎさん》と言ふ山は生姜《しやうが》に似てゐるね。」
十、十項だけ書かんと思ひしも熱出でてペンを続けること能《あた》はず。
[#地から1字上げ](大正十四年十月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http:
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング