そこには金三の云った通り、赤い葉を巻いた百合の芽が二本、光沢《つや》の好《い》い頭を尖《とが》らせていた。彼は話には聞いていても、現在この立派《りっぱ》さを見ると、声も出ないほどびっくりしてしまった。
「ね、太かろう。」
金三はさも得意そうに良平の顔へ目をやった。が、良平は頷《うなず》いたぎり、百合の芽ばかり見守っていた。
「ね、太かろう。」
金三はもう一度繰返してから、右の方の芽にさわろうとした。すると良平は目のさめたように、慌《あわ》ててその手を払いのけた。
「あっ、さわんなさんなよう、折れるから。」
「好《い》いじゃあ、さわったって。お前さんの百合じゃないに!」
金三はまた怒り出した。良平も今度は引きこまなかった。
「お前さんのでもないじゃあ。」
「わしのでないって、さわっても好《い》いじゃあ。」
「よしなさいってば。折れちまうよう。」
「折れるもんじゃよう。わしはさっきさんざさわったよう。」
「さっきさんざさわった」となれば、良平も黙るよりほかはなかった。金三はそこへしゃがんだまま、前よりも手荒《てあら》に百合の芽をいじった。しかし三寸に足りない芽は動きそうな気色《けしき》も見せなかった。
「じゃわしもさわろうか?」
やっと安心した良平は金三の顔色《かおいろ》を窺《うかが》いながら、そっと左の芽にさわって見た。赤い芽は良平の指のさきに、妙にしっかりした触覚《しょっかく》を与えた。彼はその触覚の中に何とも云われない嬉しさを感じた。
「おおなあ!」
良平は独り微笑《びしょう》していた。すると金三はしばらくの後《のち》、突然またこんな事を云い始めた。
「こんなに好《い》いちんぼ芽じゃ球根《たま》はうんと大きかろうねえ。――え、良ちゃん掘って見ようか?」
彼はもうそう云った時には、畦《うね》の土に指を突《つっ》こんでいた。良平のびっくりした事はさっきより烈《はげ》しいくらいだった。彼は百合の芽も忘れたように、いきなりその手を抑《おさ》えつけた。
「よしなさいよう。よしなさいってば。――」
それから良平は小声になった。
「見つかると、お前さん、叱《しか》られるよ。」
畑の中に生えている百合は野原や山にあるやつと違う。この畑の持ち主《ぬし》以外に誰も取る事は許されていない。――それは金三にもわかっていた。彼はちょいと未練そうに、まわりの土へ輪を描《か》いた後《のち》、素直に良平の云う事を聞いた。
晴れた空のどこかには雲雀《ひばり》の声が続いていた。二人の子供はその声の下に二本芽《にほんめ》の百合を愛しながら、大真面目《おおまじめ》にこう云う約束を結んだ。――第一、この百合の事はどんな友だちにも話さない事。第二、毎朝学校へ出る前、二人一しょに見に来る事。……
―――――――――――――――――――――――――
翌朝《よくあさ》二人は約束通り、一しょに百合《ゆり》のある麦畑へ来た。百合は赤い芽の先に露の玉を保っていた。金三《きんぞう》は右のちんぼ芽を、良平《りょうへい》は左のちんぼ芽を、それぞれ爪で弾《はじ》きながら、露の玉を落してやった。
「太いねえ!――」
良平はその朝もいまさらのように、百合の芽の立派《りっぱ》さに見惚《みと》れていた。
「これじゃ五年経っただね。」
「五年ねえ?――」
金三はちょいと良平の顔へ、蔑《さげ》すみに満ちた目を送った。
「五年ねえ? 十年くらいずらじゃ。」
「十年! 十年ってわしより年上《としうえ》かね?」
「そうさ。お前さんより年上ずらじゃ。」
「じゃ花が十《とお》咲くかね?」
五年の百合《ゆり》には五つ花が出来、十年の百合には十《とお》花が出来る、――彼等はいつか年上《としうえ》のものにそう云う事を教えられていた。
「咲くさあ、十《とお》ぐらい!」
金三は厳《おごそ》かに云い切った。良平は内心たじろぎながら、云い訣《わけ》のように独り言を云った。
「早く咲くと好《い》いな。」
「咲くもんじゃあ。夏でなけりゃ。」
金三はまた嘲笑《あざわら》った。
「夏ねえ? 夏なもんか。雨の降る時分《じぶん》だよう。」
「雨の降る時分は夏だよう。」
「夏は白い着物を着る時だよう。――」
良平も容易に負けなかった。
「雨の降る時分は夏なもんか。」
「莫迦《ばか》! 白い着物を着るのは土用《どよう》だい。」
「嘘《うそ》だい。うちのお母さんに訊《き》いて見ろ。白い着物を着るのは夏だい!」
良平はそう云うか云わない内に、ぴしゃり左の横鬢《よこびん》を打たれた。が、打たれたと思った時にはもうまた相手を打ち返していた。
「生意気《なまいき》!」
顔色を変えた金三は力一ぱい彼を突き飛ばした。良平は仰向《あおむ》けに麦の畦《うね》へ倒れた。畦には露が下《お》りていたから、顔や
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング