た後《のち》、素直に良平の云う事を聞いた。
 晴れた空のどこかには雲雀《ひばり》の声が続いていた。二人の子供はその声の下に二本芽《にほんめ》の百合を愛しながら、大真面目《おおまじめ》にこう云う約束を結んだ。――第一、この百合の事はどんな友だちにも話さない事。第二、毎朝学校へ出る前、二人一しょに見に来る事。……

       ―――――――――――――――――――――――――

 翌朝《よくあさ》二人は約束通り、一しょに百合《ゆり》のある麦畑へ来た。百合は赤い芽の先に露の玉を保っていた。金三《きんぞう》は右のちんぼ芽を、良平《りょうへい》は左のちんぼ芽を、それぞれ爪で弾《はじ》きながら、露の玉を落してやった。
「太いねえ!――」
 良平はその朝もいまさらのように、百合の芽の立派《りっぱ》さに見惚《みと》れていた。
「これじゃ五年経っただね。」
「五年ねえ?――」
 金三はちょいと良平の顔へ、蔑《さげ》すみに満ちた目を送った。
「五年ねえ? 十年くらいずらじゃ。」
「十年! 十年ってわしより年上《としうえ》かね?」
「そうさ。お前さんより年上ずらじゃ。」
「じゃ花が十《とお》咲くかね?」
 五年の百合《ゆり》には五つ花が出来、十年の百合には十《とお》花が出来る、――彼等はいつか年上《としうえ》のものにそう云う事を教えられていた。
「咲くさあ、十《とお》ぐらい!」
 金三は厳《おごそ》かに云い切った。良平は内心たじろぎながら、云い訣《わけ》のように独り言を云った。
「早く咲くと好《い》いな。」
「咲くもんじゃあ。夏でなけりゃ。」
 金三はまた嘲笑《あざわら》った。
「夏ねえ? 夏なもんか。雨の降る時分《じぶん》だよう。」
「雨の降る時分は夏だよう。」
「夏は白い着物を着る時だよう。――」
 良平も容易に負けなかった。
「雨の降る時分は夏なもんか。」
「莫迦《ばか》! 白い着物を着るのは土用《どよう》だい。」
「嘘《うそ》だい。うちのお母さんに訊《き》いて見ろ。白い着物を着るのは夏だい!」
 良平はそう云うか云わない内に、ぴしゃり左の横鬢《よこびん》を打たれた。が、打たれたと思った時にはもうまた相手を打ち返していた。
「生意気《なまいき》!」
 顔色を変えた金三は力一ぱい彼を突き飛ばした。良平は仰向《あおむ》けに麦の畦《うね》へ倒れた。畦には露が下《お》りていたから、顔や
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