らい》、連歌師《れんがし》、町人、虚無僧《こむそう》、――何にでも姿を変えると云う、洛中《らくちゅう》に名高い盗人《ぬすびと》なのです。わたしは後《あと》から見え隠れに甚内の跡をつけて行きました。その時ほど妙に嬉しかった事は、一度もなかったのに違いありません。阿媽港甚内! 阿媽港甚内! わたしはどのくらい夢の中《うち》にも、あの男の姿を慕っていたでしょう。殺生関白《せっしょうかんぱく》の太刀《たち》を盗んだのも甚内です。沙室屋《しゃむろや》の珊瑚樹《さんごじゅ》を詐《かた》ったのも甚内です。備前宰相《びぜんさいしょう》の伽羅《きゃら》を切ったのも、甲比丹《カピタン》「ぺれいら」の時計を奪ったのも、一夜《いちや》に五つの土蔵を破ったのも、八人の参河侍《みかわざむらい》を斬り倒したのも、――そのほか末代にも伝わるような、稀有《けう》の悪事を働いたのは、いつでも阿媽港甚内《あまかわじんない》です。その甚内は今わたしの前に、網代《あじろ》の笠を傾けながら、薄明るい雪路を歩いている。――こう云う姿を眺められるのは、それだけでも仕合せではありませんか? が、わたしはこの上にも、もっと仕合せになりたかったのです。
わたしは浄厳寺《じょうごんじ》の裏へ来ると、一散《いっさん》に甚内へ追いつきました。ここはずっと町家《ちょうか》のない土塀《どべい》続きになっていますから、たとい昼でも人目を避けるには、一番|御誂《おあつら》えの場所なのですが、甚内はわたしを見ても、格別驚いた気色《けしき》は見せず、静かにそこへ足を止めました。しかも杖《つえ》をついたなり、わたしの言葉を待つように、一言《ひとこと》も口を利《き》かないのです。わたしは実際恐る恐る、甚内の前に手をつきました。しかしその落着いた顔を見ると、思うように声さえ出て来ません。
「どうか失礼は御免下さい。わたしは北条屋弥三右衛門《ほうじょうややそうえもん》の倅《せがれ》弥三郎《やさぶろう》と申すものです。――」
わたしは顔を火照《ほて》らせながら、やっとこう口を切りました。
「実は少し御願いがあって、あなたの跡を慕《した》って来たのですが、……」
甚内はただ頷《うなず》きました。それだけでも気の小さいわたしには、どのくらい難有《ありがた》い気がしたでしょう。わたしは勇気も出て来ましたから、やはり雪の中に手をついたなり、父の勘当
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