人にめぐり遇ったんだ。向うは写真だから、変らなかろうが、こっちはお徳が福竜になっている。そう思えば、可哀そうだよ。
「そうして、その木の所で、ちょいと立止って、こっちを向いて、帽子をとりながら、笑うんです。それが私に挨拶をするように見えるじゃありませんか。名前を知ってりゃ呼びたかった……」
 呼んで見給え。気ちがいだと思われる。いくらYだって、まだ活動写真に惚《ほ》れた芸者はいなかろう。
「そうすると、向うから、小さな女異人が一人歩いて来て、その人にかじりつくんです。弁士の話じゃ、これがその人の情婦《いろおんな》なんですとさ。年をとっている癖に、大きな鳥の羽根なんぞを帽子につけて、いやらしいったらないんでしょう。」
 お徳は妬《や》けたんだ。それも写真にじゃないか。
(ここまで話すと、電車が品川へ来た。自分は新橋で下りる体《からだ》である。それを知っている友だちは、語り完《おわ》らない事を虞《おそ》れるように、時々眼を窓の外へ投げながら、やや慌しい口調で、話しつづけた。)
 それから、写真はいろいろな事があって、結局その男が巡査につかまる所でおしまいになるんだそうだ。何をしてつかまるんだか、お徳は詳《くわ》しく話してくれたんだが、生憎《あいにく》今じゃ覚えていない。
「大ぜいよってたかって、その人を縛ってしまったんです。いいえ、その時はもうさっきの往来じゃありません。西洋の居酒屋か何かなんでしょう。お酒の罎《びん》がずうっとならんでいて、すみの方には大きな鸚鵡《おうむ》の籠が一つ吊下げてあるんです。それが夜の所だと見えて、どこもかしこも一面に青くなっていました。その青い中で――私はその人の泣きそうな顔をその青い中で見たんです。あなただって見れば、きっとかなしくなったわ。眼に涙をためて、口を半分ばかりあいて……」
 そうしたら、呼笛《よびこ》が鳴って、写真が消えてしまったんだ。あとは白い幕ばかりさ。お徳の奴の文句が好《い》い、――「みんな消えてしまったんです。消えて儚《はかな》くなりにけりか。どうせ何でもそうしたもんね。」
 これだけ聞くと、大に悟っているらしいが、お徳は泣き笑いをしながら、僕にいや味でも云うような調子で、こう云うんだ。あいつは悪くすると君、ヒステリイだぜ。
 だが、ヒステリイにしても、いやに真剣な所があったっけ。事によると、写真に惚れたと云うのは作り話で、ほんとうは誰か我々の連中に片恋をした事があるのかも知れない。
(二人の乗っていた電車は、この時、薄暮《はくぼ》の新橋停車場へ着いた。)
[#地から1字上げ](大正六年九月十七日)



底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
   1996年(平成8)7月15日第11刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月7日公開
2004年3月10日修正
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