の事とす。」
 詩文は巽斎の愛する所である。しかも巽斎はその詩文にさへ、妄《みだり》に才力を弄《ろう》さうとしない。たとひ応酬の義理は欠いても、唯好句の※[#「口+荅」、第4水準2−4−16]然《とうぜん》と懐に入る至楽を守つてゐる。かう云ふ態度の窺はれるのは何も上に挙げた数節ばかりではない。巽斎の一生を支配するものは実にこの微妙なる節制である。この己を抑へると共に己を恣にした手綱加減である。蒹葭堂主人の清福のうちに六十年の生涯を了したのも偶然ではないと言はなければならぬ。
 前にも度たび挙げた春山図は老木や巨巌の横はつた奥へ一条の幽径を通じてゐる。その幽径の窮《きは》まる処は百年の雪に埋もれた無人の峰々に違ひない。天才と世に呼ばれるものはそれ等の峰々へ攀《よ》づることを辞せない勇往果敢の孤客である。百年の雪を踏破することは勿論千古の大業であらう。が、崕花《がいくわ》の発したのを見、澗水《かんすゐ》の鳴るのを聞きながら、雲と共に徂来するのもやはり一生の快事である。僕の愛する蒹葭堂主人はこの寂寞たる春山に唯一人驢馬を歩ませて行つた。春山図の逸趣に富んでゐるのも素《もと》より怪しむに足りな
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