ばならぬ。或は脳髄を具へてゐると共に、神経を具へてゐなければならぬ。果然古来のディレツタントは多少の学者であると共に、多少の芸術家であるのを常としてゐた。物産の学を究めると共に、画道に志した巽斎も正にかう云ふ一人である。微妙にものを考へると共に、微妙にものを感ずる蘆、――さう言へば巽斎は不思議にも蒹葭堂主人と号してゐた!
しかし棘《とげ》のない薔薇はあつても、受苦を伴はない享楽はない。微妙にものを考へると共に、微妙にものを感ずる蘆は即ち微妙に苦しむ蘆である。この故に聡明なるディレツタントは地獄の業火を免れる為に、天堂の荘厳を捨てなければならぬ。更に手短かに言ひ換へれば、あらゆる悪徹底を避けなければならぬ。無邪気なる英雄崇拝者は勿論かう云ふディレツタントの態度を微温底とか何とか嘲るであらう。けれども微温底に住するの可否は享楽的態度の可否である。享楽的態度を否定するのは、――古来如何なる哲学と雖も、人生の使命を闡明《せんめい》するのに成功しなかつたことは事実である。昔はその不可なるを知つて、しかも仁《じん》を説いた孔丘さへ微温底なる中庸を愛してゐた。今はカフエに出没する以外に一事を成就しない少年までも灼熱底なる徹底を愛してゐる。が、それは兎も角も、貪慾に歓喜を求めるのは享楽を全うする所以ではない。巽斎も亦この例に洩れず、常に中庸を愛してゐた。巽斎自身行状を記した一巻の「蒹葭堂雑録」は如何にその心の秤《はかり》の平衡を得てゐたかを示すものである。由来貧富のロマンテイシズムほど文人墨客を捉へたものはない。彼等は大抵清貧を誇るか、或は又豪奢を誇つてゐる。しかしひとり巽斎だけは恬然と倹素に安んじてゐた。
「余家君の余資《よし》に因つて、毎歳受用する所三十金に過ぎず。其の他親友の相憐を得るが為めに、少しく文雅に耽ることを得たり。百事|倹省《けんせい》にあらずんば、豈今日の業を成んや。世人は余が実《じつ》を知らず。豪家の徒に比す。余が本意にあらず。」
一年に三十両の収入と言へば、一月に二両二分の収入である。如何に宝暦《はうれき》明和《めいわ》の昔にもせよ、一月に二両二分の収入では多銭《たせん》善く買ふ訳にも行かなかつたであらう。しかもなほ文雅に耽つたばかりか、蒹葭堂コレクシヨンさへ残したのはそれ自身豪奢の俗悪なる所以を示してゐるものと言はなければならぬ。(生憎今は旅先にゐるから
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