締切り日は――弔辞《ちょうじ》などを書いている場合ではない。昼夜兼行に勉強しても、元来仕事に手間《てま》のかかる彼には出来上るかどうか疑問である。保吉はいよいよ弔辞に対する忌《いま》いましさを感じ出した。
 この時大きい柱時計の静かに十二時半を報じたのは云わばニュウトンの足もとへ林檎《りんご》の落ちたのも同じことである。保吉の授業の始まるまではもう三十分待たなければならぬ。その間《あいだ》に弔辞を書いてしまえば、何も苦しい仕事の合い間に「悲しいかな」を考えずとも好《い》い。もっともたった三十分の間に資性《しせい》穎悟《えいご》にして兄弟《けいてい》に友《ゆう》なる本多少佐を追悼《ついとう》するのは多少の困難を伴っている。が、そんな困難に辟易《へきえき》するようでは、上は柿本人麻呂《かきのもとひとまろ》から下《しも》は武者小路実篤《むしゃのこうじさねあつ》に至る語彙《ごい》の豊富を誇っていたのもことごとく空威張《からいば》りになってしまう。保吉はたちまち机に向うと、インク壺へペンを突《つっ》こむが早いか、試験用紙のフウルス・カップへ一気に弔辞を書きはじめた。

       ×          ×          ×

 本多少佐の葬式の日は少しも懸《か》け価《ね》のない秋日和《あきびより》だった。保吉はフロック・コオトにシルク・ハットをかぶり、十二三人の文官教官と葬列のあとについて行った。その中《うち》にふと振り返ると、校長の佐佐木《ささき》中将を始め、武官では藤田大佐だの、文官では粟野《あわの》教官だのは彼よりも後《うし》ろに歩いている。彼は大いに恐縮したから、直《すぐ》後ろにいた藤田大佐へ「どうかお先へ」と会釈《えしゃく》をした。が、大佐は「いや」と云ったぎり、妙ににやにや笑っている。すると校長と話していた、口髭《くちひげ》の短い粟野教官はやはり微笑を浮かべながら、常談《じょうだん》とも真面目《まじめ》ともつかないようにこう保吉へ注意をした。
「堀川君。海軍の礼式じゃね、高位高官のものほどあとに下《さが》るんだから、君はとうてい藤田さんの後塵《こうじん》などは拝せないですよ。」
 保吉はもう一度恐縮した。なるほどそう云われて見れば、あの愛敬《あいきょう》のある田中中尉などはずっと前の列に加わっている。保吉は※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそ
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