や仕送りを貰つてゐた。彼の天才は暫く問はず、その又天才を助長した境遇や教育も暫く問はず、最後に彼のエネルギイを生んだ肉体的健康も暫く問はず、これだけでも羨しいと思ふものは恐らくは僕一人に限らないであらう。)
(4)[#「(4)」は縦中横] これは谷崎氏に答へるのではない。僕等二人の議論の相違は「おのおの体質の相違になりはしないか」と云ふ谷崎氏の言葉に対し、ちよつと感慨を洩らしたいのである。谷崎氏の愛する紫式部は彼女の日記の一節に「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍《はべ》りける人。さばかり賢《さか》しだち、まなかきちらして侍るほども、よく見れば、まだいと堪へぬことおほかり。かく人にことならんと思ひ好める人は、かならず見おとりし、行く末うたてのみ侍れば、……もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじく、あだなるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよく侍らん」と云ふ言葉を残した。僕は男根隆々たる清家《せいけ》の少女を以て任ずるものではない。けれどもこの文章を読み、(紫式部の科学的教養は体質の相違に言及するほど進歩してゐなかつたにしろ)はるかに僕を戒《いまし》めてゐる谷崎氏を感じずにはゐられなかつた。今再び谷崎氏に答へるのに当り、かう云ふ感慨を洩らすのは議論の是非を暫く問はず、「饒舌録」の文章のリズムの堂々としてゐる為ばかりではない。往年深夜の自動車の中に僕の為に芸術を説いた谷崎潤一郎氏を思ひ出したからである。
三十 「野性の呼び声」
僕は前に光風会に出たゴオガンの「タイチの女」(?)を見た時、何か僕を反撥するものを感じた。装飾的な背景の前にどつしりと立つてゐる橙《だいだい》色の女は視覚的に[#「視覚的に」に傍点]野蛮人の皮膚の匂を放つてゐた。それだけでも多少|辟易《へきえき》した上、装飾的な背景と調和しないことにも不快を感じずにはゐられなかつた。美術院の展覧会に出た二枚のルノアルはいづれもこのゴオガンに勝《まさ》つてゐる。殊《こと》に小さい裸女の画などはどの位シヤルマンに出来上つてゐたであらう。――僕はその時はかう思つてゐた。が、年月の流れるのにつれ、あのゴオガンの橙色の女はだんだん僕を威圧し出した。それは実際タイチの女に見こまれたのに近い威力である。しかもやはりフランスの女も僕には魅力を失つたのではない。若し画面の美しさを云々《うんぬん》するとすれば、僕は未《いまだ》にタイチの女よりもフランスの女を採りたいと思つてゐる。……
僕はかう云ふ矛盾に似たもの[#「矛盾に似たもの」に傍点]を文芸の中にも感じてゐる。更に又諸家の文芸評論の中にもタイチ派とフランス派とのあるのを感じてゐる。ゴオガンは、――少くとも僕の見たゴオガンは橙色の女の中に人間獣の一匹を表現してゐた。しかも写実派の画家たちよりも更に痛切に表現してゐた。或文芸批評家は――たとへば正宗白鳥氏は大抵[#「大抵」に傍点]この人間獣の一匹を表現したかどうかを尺度にしてゐる。が、或文芸批評家は、――たとへば谷崎潤一郎氏は大抵[#「大抵」に傍点]人間獣の一匹よりも人間獣の一匹を含んだ画面の美しさを尺度にしてゐる。(尤も諸家の文芸評論の尺度は必しもこの二者に限つてゐない。実践道徳的尺度もあれば、社会道徳的尺度もあることは確かである。しかし僕はそれ等の尺度に余り興味を持つてゐない。のみならず持つてゐないことも不思議ではないと信じてゐる。)勿論タイチ派は必しもフランス派と両立しないものではない。両者の差別はこの地上に生じた、あらゆる差別のやうに朦朧《もうろう》としてゐる。が、暫く両端を挙げれば、両者の差別のあることだけは兎に角一応は認めなければならぬ。
所謂ゲエテ・クロオチエ・スピンガアン商会の美学によれば、この差別も「表現」の一語に霧のやうに消えてしまふであらう。しかし或作品を仕上げる上には度《たび》たび僕等を、――或は僕を岐路に立たせることは事実である。古典的作家は巧妙にもこの岐路を一度に歩いて行つた。彼等に僕等群小の徒の及ぶことの出来ないのは恐らくはそこにあるのであらう。ルノアルは、――少くとも僕の見たルノアルはかう云ふ点ではゴオガンよりも古典的作家に近いのかも知れない。けれども橙色の人間獣の牝《めす》は何か僕を引き寄せようとしてゐる。かう云ふ「野性の呼び声」を僕等の中に感ずるものは僕一人に限つてゐるのであらうか?
僕は僕と同時代に生まれた、あらゆる造形美術の愛好者のやうにまづあの沈痛な力に満ちたゴオグに傾倒した一人だつた。が、いつか優美を極めたルノアルに興味を感じ出した。それは或は僕の中にある都会人の仕業だつたかも知れない。同時に又ルノアルを軽蔑する当時の愛好者の傾向につむじ[#「つむじ」に傍点]を曲げたこともない訣《わけ》ではなかつた。けれども十年あまりたつて見ると、――立派に完成したルノアルは未だに僕を打たない訣ではない。しかしゴオグの糸杉や太陽はもう一度僕を誘惑するのである。それは橙色の女の誘惑とは或は異つてゐるかも知れない。が、何か切迫したものに言はば芸術的食慾を刺戟されるのは同じことである。何か僕等の魂の底から必死に表現を求めてゐるものに。――
しかも僕はルノアルに恋々《れんれん》の情を持つてゐるやうに文芸上の作品にも優美なものを愛してゐる。「エピキユウルの園」を歩いたものは容易にその魅力を忘れることは出来ない。殊に僕等都会人はその点では誰よりも弱いのである。プロレタリア文芸の呼び声も勿論僕を動かさないのではない。が、それよりもこの問題は根本的に僕を動かすのである。純一無雑になることは誰にも恐らくは困難であらう。しかし兎に角外見上でも僕の知つてゐる作家たちの中にはこの境涯にゐる人もない訣ではない。僕はいつもかう云ふ人々に多少の羨望《せんばう》を感じてゐる。……
僕は誰かの貼《は》つた貼り札によれば、所謂「芸術派」の一人になつてゐる。(かう云ふ名称の存在するのは、同時に又かう云ふ名称を生んだ或|雰囲気《ふんゐき》の存在するのは世界中に日本だけであらう。)僕の作品を作つてゐるのは僕自身の人格を完成する為に作つてゐるのではない。況《いはん》や現世の社会組織を一新する為に作つてゐるのではない。唯僕の中《うち》の詩人を完成する為に作つてゐるのである。或は詩人兼ジヤアナリストを完成する為に作つてゐるのである。従つて「野性の呼び声」も僕には等閑に附することは出来ない。
或友人は森先生の詩歌に不満を洩らした僕の文章を読み、僕は感情的に森先生に刻薄《こくはく》であると云ふ非難を下した。僕は少くとも意識的には森先生に敵意などは持つてゐない。いや、寧《むし》ろ森先生に心服してゐる一人であらう。しかし僕の森先生にも羨望を感じてゐることは確かである。森先生は馬車馬のやうに正面だけ見てゐた作家ではない。しかも意力そのもののやうに一度も左顧右眄《さこうべん》したことはなかつた。「タイイス」の中のパフヌシユは神に祈らずに人の子だつたナザレの基督《キリスト》に祈つてゐる。僕のいつも森先生に近づき難い心もちを持つてゐるのは或はかう云ふパフヌシユに近い歎息を感じてゐる為であらう。
三十一 「西洋の呼び声」
僕はゴオガンの橙色の女に「野性の呼び声」を感じてゐる。しかし又ルドンの「若き仏陀」(土田|麦僊《ばくせん》氏所蔵?)に「西洋の呼び声」を感じてゐる。この「西洋の呼び声」もやはり僕を動かさずには措《お》かない。谷崎潤一郎氏も谷崎氏自身の中に東西両洋の相剋《さうこく》を感じてゐる。しかし僕の「西洋の呼び声」と云ふのは或は谷崎氏の「西洋の呼び声」とは多少異つてゐるかも知れない。僕はその為に僕の感じる「西洋」のことを書いて見ることにした。
「西洋」の僕に呼びかけるのはいつも造形美術の中からである。文芸上の作品は――殊に散文は存外この点では痛切ではない。それは一つには僕等人間は人間獣であることに東西の差別の少ない為であらう。(最も手近な例を引けば、某医学博士の或少女を凌辱《りようじよく》したのは全然神父セルジウスの百姓の娘に対したのと異らない男性の心理である。)それから又僕等の語学的素養は文芸上の作品の美を捉へる為には余りに不完全である為であらう。僕等は、――少くとも僕は紅毛人《こうまうじん》の書いた詩文の意味だけは理解出来ないことはない。が、僕等の祖先の書いた詩文――たとへば凡兆《ぼんてう》の「木の股のあでやかなりし柳かな」に対するほど、一字一音の末に到るまで舌舐《したな》めずりをすることは出来ないのである。西洋の僕に呼びかけるのに造形美術を通してゐるのは必しも偶然ではないかも知れない。
この「西洋」の底に根を張つてゐるものはいつも不可思議なギリシアである。水の冷暖は古人も言つたやうに飲んで自知する外に仕かたはない。不可思議なギリシアも亦同じことである。僕は最も手短かにギリシアを説明するとすれば、日本にもあるギリシア陶器の幾つかを見ることを勧めるであらう。或は又ギリシア彫刻の写真を見ることを勧めるであらう。それ等の作品の美しさはギリシアの神々の美しさである。或は飽くまでも官能的な、――言はば肉感的な美しさの中に何か超自然と言ふ外はない魅力を含んだ美しさである。この石に滲《し》みこんだ麝香《じやかう》か何かの匂のやうに得体《えたい》の知れない美しさは詩の中にもやはりないことはない。僕はポオル・ヴアレリを読んだ時、(紅毛の批評家は何と言ふか知れない。)ボオドレエルの昔からいつも僕を動かしてゐたかう云ふ美しさに邂逅《かいこう》した。しかし最も直接に[#「最も直接に」に傍点]僕にこのギリシアを感じさせたのは前に挙げた一枚のルドンである。……
ギリシア主義とヘブライ主義との思想上の対立はいろいろの議論を生じてゐる。が、僕はそれ等の議論には余り興味を持つてゐない。唯街頭の演説に耳を傾けるやうに聞いてゐるだけである。しかしこのギリシア的な美しさはかう云ふ問題に門外漢の僕にも「恐しい」と言つても差支へない。僕はここにだけ――このギリシアにだけ僕等の東洋に対立する「西洋の呼び声」を感じるのである。貴族はブウルヂヨアに席を譲つたであらう。ブウルヂヨアも亦プロレタリアに早晩席を譲るであらう。けれども西洋の存する限り、不可思議なギリシアは必ず僕等を、――或は僕等の子孫たちを引き寄せようとするのに違ひない。
僕はこの文章を書いてゐるうちに古代の日本に渡つて来たアツシリアの竪琴《たてごと》を思ひ出した。大いなる印度は僕等の東洋を西洋と握手させるかも知れない。しかしそれは未来のことである。西洋は――最も西洋的なギリシアは現在では東洋と握手してゐない。ハイネは「流謫《るたく》の神々」の中に十字架に逐《お》はれたギリシアの神々の西洋の片田舎に住んでゐることを書いた。けれどもそれは片田舎にもしろ、兎に角西洋だつたからである。彼等は僕等の東洋には一刻も住んではゐられなかつたであらう。西洋はたとひヘブライ主義の洗礼を受けた後にもしろ、何か僕等の東洋と異つた血脈を持つてゐる。その最も著しい例は或はポルノグラフイイにあるかも知れない。彼等は肉感そのものさへ僕等と趣《おもむき》を異にしてゐる。
或人々は千九百十四五年に死んだドイツの表現主義の中に彼等の西洋を見出してゐる。それから又或人々は――レムブラントやバルザツクの中《うち》に彼等の西洋を見出してゐる人々も勿論多いことであらう。現に秦豊吉《はたとよきち》氏などはロココ時代の芸術に秦氏の西洋を見出してゐる。僕はかう云ふ種々の西洋を西洋ではないと言ふのではない。しかしそれらの西洋のかげにいつも目を醒ましてゐる一羽の不死鳥――不可思議なギリシアを恐れてゐるのである。恐れてゐる?――或は恐れてゐるのではないかも知れない。けれども妙に抵抗しながら、やはりじりじりと引き寄せられる動物的磁気に近いものを感じない訣《わけ》には行かないのである。
僕は若《も》し目をつぶれるとすれば、かう云ふ「西洋
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