持つてゐることは必ずしも食ふ為に書いてゐることと矛盾しない。少くとも食ふ為にばかり[#「にばかり」に傍点]書いてゐない限りは。)詩を作るのは古人も言つたやうに田を作るのに越したことはない。
僕は島崎藤村氏は勿論、正宗白鳥氏も「人生の従軍記者」でないことを信じてゐる。如何に両大家の才力を以てしても、古来一人もゐなかつたものに忽ちなつてしまふ道理はない。僕等は皆僕等の中に「光秀と紹巴《せうは》」とを持ち合せてゐる。少くとも僕は僕自身に関することには多少の紹巴になる代りに僕以外の人々に関することには多少の光秀になる傾向を持ち合せてゐる。従つて僕の中《うち》の光秀は必ずしも僕の中の紹巴を嘲笑しない。けれども幾分か嘲笑したい心もちのあることは確かである。
三十七 古典
「選ばれたる少数」とは必しも最高の美を見ることの出来る少数かどうかは疑はしい。寧ろ或作品に現れた或作者の心もちに触れることの出来る少数であらう。従つてどう云ふ作品も、――或は又どう云ふ作品の作者も「選ばれたる少数」以外に読者を得ることの出来るものではない。が、それは「選ばれざる多数の読者」を得ることと少しも矛盾して
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