アルなどの匹儔《ひつちう》ではない。(これも又連帯責任者にはブランデスを連れてくれば善い。)しかしスタンダアルの諸作の中に漲《みなぎ》り渡つた詩的精神はスタンダアルにして始めて得られるものである。フロオベエル以前の唯一のラルテイストだつたメリメエさへスタンダアルに一籌《いつちう》を輸《ゆ》したのはこの問題に尽きてゐるであらう。僕が谷崎潤一郎氏に望みたいものは畢竟《ひつきやう》唯この問題だけである。「刺青《しせい》」の谷崎氏は詩人だつた。が、「愛すればこそ」の谷崎氏は不幸にも詩人には遠いものである。
「大いなる友よ、汝は汝の道にかへれ。」

     三 僕

 最後に僕の繰り返したいのは僕も亦今後|側目《わきめ》もふらずに「話」らしい話のない小説ばかり作るつもりはないと云ふことである。僕等は誰も皆出来ることしかしない[#「出来ることしかしない」に傍点]。僕の持つてゐる才能はかう云ふ小説を作ることに適してゐるかどうか疑問である。のみならずかう云ふ小説を作ることは決して並み並みの仕事ではない。僕の小説を作るのは小説はあらゆる文芸の形式中、最も包容力に富んでゐる為に何でもぶちこんでしまはれる
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