)はるかに僕を戒《いまし》めてゐる谷崎氏を感じずにはゐられなかつた。今再び谷崎氏に答へるのに当り、かう云ふ感慨を洩らすのは議論の是非を暫く問はず、「饒舌録」の文章のリズムの堂々としてゐる為ばかりではない。往年深夜の自動車の中に僕の為に芸術を説いた谷崎潤一郎氏を思ひ出したからである。

     三十 「野性の呼び声」

 僕は前に光風会に出たゴオガンの「タイチの女」(?)を見た時、何か僕を反撥するものを感じた。装飾的な背景の前にどつしりと立つてゐる橙《だいだい》色の女は視覚的に[#「視覚的に」に傍点]野蛮人の皮膚の匂を放つてゐた。それだけでも多少|辟易《へきえき》した上、装飾的な背景と調和しないことにも不快を感じずにはゐられなかつた。美術院の展覧会に出た二枚のルノアルはいづれもこのゴオガンに勝《まさ》つてゐる。殊《こと》に小さい裸女の画などはどの位シヤルマンに出来上つてゐたであらう。――僕はその時はかう思つてゐた。が、年月の流れるのにつれ、あのゴオガンの橙色の女はだんだん僕を威圧し出した。それは実際タイチの女に見こまれたのに近い威力である。しかもやはりフランスの女も僕には魅力を失つたの
前へ 次へ
全110ページ中72ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング