論者はいづれも良妻を伴つてゐた。科学上の産物さへかう云ふ条件を示してゐるとすれば、芸術上の作品は――殊に文芸上の作品はあらゆる条件を示してゐる訣《わけ》である。僕等はそれぞれ異つた天気の下やそれぞれ異つた土の上に芽を出した草と変りはない。同時に又僕等の作品も無数の条件を具へた草の実である。若し神の目に見るとすれば、僕等の作品の一篇に僕等の全生涯を示してゐるのであらう。
プロレタリア文芸は――プロレタリア文芸とは何であらう? 勿論第一に考へられるのはプロレタリア文明の中に花を開いた文芸である。これは今日の日本にはない。それから次に考へられるものはプロレタリアの為に闘ふ文芸である。これは日本にもないことはない。(若しスウイツルでも隣国だつたとすれば、或はもつと生まれたであらう。)第三に考へられるはコムミユニズムやアナアキズムの主義を持つてゐないにもせよ、プロレタリア的魂を根柢にした文芸である。第二のプロレタリア文芸は勿論第三のプロレタリア文芸と必ずしも両立しないものではない。しかし若し多少でも新しい文芸を生ずるとすれば、それはこのプロレタリア的魂の生んだ文芸でなければならぬ。
僕は隅田
前へ
次へ
全110ページ中62ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング