スラアは油画の上に浮世画を模倣をしなかつたか? いや、彼等は彼等同志もやはり模倣し合つてゐる。更に又過去に溯《さかのぼ》れば、大いなる支那は彼等の為にどの位先例を示したであらう? 彼等は或は彼等の模倣は「消化」であると云ふかも知れない。若し「消化」であると云ふならば、僕等の模倣も亦「消化」である。同じ水墨《すゐぼく》を以てしても、日本の南画は支那の南画ではない。のみならず僕等は往来の露店に言葉通り豚カツを消化してゐる。
 しかも模倣を便宜とすれば、模倣するのに勝ることはない。僕等は先祖伝来の名刀を揮《ふる》ひながら、彼等のタンクや毒|瓦斯《ガス》と戦ふ必要を認めないものである。しかも物質的文明はたとひ必要のない時にさへ、おのづから模倣を強《し》ひずには措かない。現に古代には軽羅《けいら》をまとつた希臘《ギリシヤ》、羅馬《ロオマ》等の暖国の民さへ、今では北狄《ほくてき》の考案した、寒気に堪へるのに都合の善い洋服と云ふものを用ひてゐる。
 僕等の風俗や習慣の彼等に滑稽に見えるのもやはり少しも不思議ではない。彼等は僕等の美術には――殊に工芸美術にはとうに多少の賞讃をしてゐる。それは唯|目《ま
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