外ならない。(新聞記事に誤伝があるのも歴史に誤伝があるのと同じことである。)歴史も又畢竟伝記である。その又伝記は、小説とどの位異つてゐるであらう。現に自叙伝は「私《わたくし》」小説と云ふものとはつきりした差別[#「はつきりした差別」に傍点]を持つてゐない。暫くクロオチエの議論に耳を貸さずに抒情詩等の詩歌を例外とすれば、あらゆる文芸はジヤアナリズムである。のみならず新聞文芸は明治大正の両時代に所謂文壇的作品に遜色のない作品を残した。徳富|蘇峰《そほう》、陸羯南《くがかつなん》、黒岩|涙香《るゐかう》、遅塚《ちづか》麗水等の諸氏の作品は暫く問はず、山中未成氏の書いた通信さへ文芸的には現世に多い諸雑誌の雑文などに劣るものではない。のみならず、――
のみならず新聞文芸の作家たちはその作品に署名しなかつた為に名前さへ伝はらなかつたのも多いであらう。現に僕はかう云ふ人々の中に二三の詩人たちを数へてゐる。僕は一生のどの瞬間を除いても、今日の僕自身になることは出来ない。かう云ふ人々の作品も(僕はその作家の名前を知らなかつたにしろ)僕に詩的感激を与へた限り、やはりジヤアナリスト兼詩人たる今日の僕には恩
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