事実を数へるとすれば、これこそ正にその一つであらう。小説家兼批評家の場合もやはりこの事実と同じことである。僕は「鴎外全集」第三巻を読み、批評家鴎外先生の当時の「専門的批評家」を如何に凌駕《りようが》してゐるかを知つた。同時に又かう云ふ批評家のない時代の如何に寂しいものであるかを知つた。若し明治時代の批評家を数へるとすれば、僕は森先生や夏目先生と一しよに子規|居士《こじ》を数へたいと思つてゐる。東京の悪戯《いたづら》つ児《こ》斎藤|緑雨《りよくう》は右に森先生の西洋の学を借り、左に幸田先生の和漢の学を借りたものの、畢《つひ》に批評家の域にはいつてゐない。(しかし僕は随筆以外に何も完成しなかつた斎藤緑雨にいつも同情を感じてゐる。緑雨は少くとも文章家だつた。)けれどもそれは余論である。……
 批評家だつた森先生は自然主義の文芸の興つた明治時代の準備をした。(しかも逆説的な運命は自然主義の文芸の興つた時代には森先生を反自然主義者の一人にした。それは或は森先生の目はもつと遠い空を見てゐたからかも知れない。しかし兎に角明治二十年代にゾラやモオパスサンを云々した森先生さへ反自然主義者の一人になつたのは逆説的であると言はなければならぬ。)僕は若し当代も批評時代と呼ばれるとすれば、――三宅氏は「我々は来る可き日本文学の隆盛期に対して、殆ど絶望を感じないか」と言つてゐる。若し仕合せにもこの言葉は三宅氏一人の感慨だつたとすれば、――僕等はどの位安んじて新来の作家たちを待てるであらう。或は又どの位不安になつて新来の作家たちを待てるであらう。
 所謂「真の批評家」は籾《もみ》を米から分つ為に批評のペンを執るであらう。僕も亦時々僕自身の中にかう云ふメシア的欲望を感じてゐる。しかし大抵は僕自身の為に――僕自身を理智的に歌ひ上げる為に書いてゐるのに過ぎない。批評も亦僕にはその点では殆ど小説を作つたり発句《ほつく》を作つたりするのと変らないのである。僕は佐藤、三宅両氏の議論を読み、僕の批評に序文をつける為にとりあへずこの文章を艸《さう》することにした。
 追記。僕はこの文章を書き終つた後、堀木|克三《よしざう》氏の啓発を受け、宇野浩二氏の批評の名に「文芸的な、余りに文芸的な」を使つてゐることを知つた。僕は故意に宇野氏の真似をしたのでもなければ、なほ更プロレタリア文芸に対する共同戦線などにするつもりではない。唯文芸上の問題ばかりを論ずる為に漫然とつけたばかりである。宇野氏も恐らくは僕の心もちを諒《りやう》としてくれることであらう。

     三十三 「新感覚派」

「新感覚派」の是非を論ずることは今は既に時代遅れかも知れない。が、僕は「新感覚派」の作家たちの作品を読み、その又作家たちの作品に対する批評家たちの批評を読み、何か書いて見たい欲望を感じた。
 少くとも詩歌は如何なる時代にも「新感覚派」の為に進歩してゐる。「芭蕉は元禄時代の最大の新人だつた」と云ふ室生犀星氏の断案は中《あた》つてゐるのに違ひない。芭蕉はいつも文芸的にはいやが上にも新人にならうと努力をしてゐた。小説や戯曲もそれ等の中に詩歌的要素を持つてゐる以上、――広い意味の詩歌である以上、いつも「新感覚派」を待たなければならぬ。僕は北原白秋氏の如何に「新感覚派」だつたかを覚えてゐる。(「官能の解放」と云ふ言葉は当時の詩人たちの標語だつた。)同時に又谷崎潤一郎氏の如何に「新感覚派」だつたかを覚えてゐる。……
 僕は今日の「新感覚派」の作家たちにも勿論興味を感じてゐる。「新感覚派」の作家たちは、――少くともその中の論客たちは僕の「新感覚派」に対する考へなどよりも新らしい理論を発表した。が、それは不幸にも十分に僕にはわからなかつた。唯「新感覚派」の作家たちの作品だけは、――それも僕にはわからないのかも知れない。僕等は作品を発表し出した頃、「新理智派」とか云ふ名を貰つた。(尤も僕等の僕等自身この名を使はなかつたのは確かである。)しかし「新感覚派」の作家たちの作品を見れば、僕等の作品よりも或意味では「新理智派」に近いと言はなければならぬ。では或意味とは何かと言へば、彼等の所謂感覚の理智の光を帯びてゐることである。僕は室生犀星氏と一しよに碓氷《うすひ》山上の月を見た時、突然室生氏の妙義山を「生姜《しやうが》のやうだね」と云つたのを聞き、如何にも妙義山は一塊の根生姜にそつくりであることを発見した。この所謂《いはゆる》感覚は理智の光を帯びてはゐない。が、彼等の所謂感覚は、――たとへば横光利一氏は僕の為に藤沢|桓夫《たけを》氏の「馬は褐色の思想のやうに走つて行つた」(?)と云ふ言葉を引き、そこに彼等の所謂感覚の飛躍のあることを説明した。かう云ふ飛躍は僕にも亦全然わからない訣《わけ》ではない。が、この一行は明らかに理智的
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