「詩的精神云々の意味がよく分らない」と言つた谷崎氏に対する答はこの数行に足りてゐる筈である。
 (2)[#「(2)」は縦中横] 谷崎氏の所謂《いはゆる》「構成する力」は僕にも理解出来たやうに感じてゐる。僕も亦日本の文芸に――殊に現世の文芸にかう云ふ力の欠けてゐることを必しも否《いな》むものではない。しかし若し谷崎君の言ふやうにかう云ふ力の現れるのは必しも長篇に限らないとすれば、前に僕の挙げた諸作家もやはりかう云ふ力を持ち合せてゐる。尤もこれは比較的な問題であるから、或標準の上に立つて有無《うむ》を論じても仕かたはないであらう。なほ又僕の志賀直哉氏に及ばないのを「肉体的力量の感じの有無にある」と云ふのは全然僕には賛成出来ない。谷崎氏は僕自身よりも更に僕を買ひ冠《かぶ》つてゐる。「僕等は僕等自身の短所を語るものではない。僕等自身語らずとも他人は必ず語つてくれるものである。」――メリメエは彼の書簡集の中にかう云ふ老外交家の言葉を引用した。僕も亦この言葉を少くとも部分的に守るつもりである。
 (3)[#「(3)」は縦中横] 「ゲエテの偉いのはスケールが大きくて猶且《なほかつ》純粋性を失はないところにある」と言ふ谷崎氏の言葉は中《あた》つてゐる。これは僕にも異存はない。しかし雑駁《ざつぱく》である大詩人はあつても、純粋でない大詩人はない。従つて大詩人を大詩人たらしめるものは、――少くとも後代に大詩人の名を与へしめるものは雑駁であることに帰着してゐる。谷崎氏は「雑駁な」と云ふ言葉を下品に感じてゐるのであらう。それは僕等の趣味の相違である。僕はゲエテに「雑駁な」と云ふ言葉を与へた。しかしそこには必しも「騒々しい感じ」を含んでゐない。若し谷崎氏の語彙《ごゐ》に従ふとすれば、「包容力の大きい」と云ふ言葉と同意味にしても善いのである。唯この「包容力の大きい」と云ふことは古来の詩人を評価する上に余り重大視されてゐはしないであらうか? ボオドレエルやラムボオを大詩人とする一群はユウゴオの上に円光をかけない。僕は彼等の心もちに少からず同情してゐる。(元来ゲエテは僕等の嫉妬を煽動する力を具へてゐる。同時代の天才に嫉妬を示さない詩人たちさへゲエテに欝憤《うつぷん》を洩らしてゐるのは少くない。しかし僕は不幸にも嫉妬を示す勇気もないものである。ゲエテは伝記の教へる所によれば、原稿料や印税の外にも年金や仕送りを貰つてゐた。彼の天才は暫く問はず、その又天才を助長した境遇や教育も暫く問はず、最後に彼のエネルギイを生んだ肉体的健康も暫く問はず、これだけでも羨しいと思ふものは恐らくは僕一人に限らないであらう。)
 (4)[#「(4)」は縦中横] これは谷崎氏に答へるのではない。僕等二人の議論の相違は「おのおの体質の相違になりはしないか」と云ふ谷崎氏の言葉に対し、ちよつと感慨を洩らしたいのである。谷崎氏の愛する紫式部は彼女の日記の一節に「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍《はべ》りける人。さばかり賢《さか》しだち、まなかきちらして侍るほども、よく見れば、まだいと堪へぬことおほかり。かく人にことならんと思ひ好める人は、かならず見おとりし、行く末うたてのみ侍れば、……もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじく、あだなるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよく侍らん」と云ふ言葉を残した。僕は男根隆々たる清家《せいけ》の少女を以て任ずるものではない。けれどもこの文章を読み、(紫式部の科学的教養は体質の相違に言及するほど進歩してゐなかつたにしろ)はるかに僕を戒《いまし》めてゐる谷崎氏を感じずにはゐられなかつた。今再び谷崎氏に答へるのに当り、かう云ふ感慨を洩らすのは議論の是非を暫く問はず、「饒舌録」の文章のリズムの堂々としてゐる為ばかりではない。往年深夜の自動車の中に僕の為に芸術を説いた谷崎潤一郎氏を思ひ出したからである。

     三十 「野性の呼び声」

 僕は前に光風会に出たゴオガンの「タイチの女」(?)を見た時、何か僕を反撥するものを感じた。装飾的な背景の前にどつしりと立つてゐる橙《だいだい》色の女は視覚的に[#「視覚的に」に傍点]野蛮人の皮膚の匂を放つてゐた。それだけでも多少|辟易《へきえき》した上、装飾的な背景と調和しないことにも不快を感じずにはゐられなかつた。美術院の展覧会に出た二枚のルノアルはいづれもこのゴオガンに勝《まさ》つてゐる。殊《こと》に小さい裸女の画などはどの位シヤルマンに出来上つてゐたであらう。――僕はその時はかう思つてゐた。が、年月の流れるのにつれ、あのゴオガンの橙色の女はだんだん僕を威圧し出した。それは実際タイチの女に見こまれたのに近い威力である。しかもやはりフランスの女も僕には魅力を失つたの
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